あれはも15~16年くらい前、祥一郎と大阪で暮らしていた頃の事。
その頃の祥一郎と私はお互い仕事を持ち、プライベートは勝手な事をやって、貧乏ではあったがけっこう楽しく生活していた頃だった。
勝手な事をやっていても、狭い部屋だったが帰る場所はお互い一つだった。
まあ男女の夫婦で言えば、イケイケモードが終って、熟した関係になった頃かもしれない。
そんなある夏の夜、あまりはっきりと覚えていないが、なぜか私はコインランドリーで洗濯をしていた。
祥一郎が友人と遊びに行っていたか、実家に帰っていたかそんな時だったと思う。
小汚いコインランドリーに、ひとりなかなかのイケメンの若者が漫画本を読みながら、洗濯が済むのを待っていた。
いやらしいゲイの性癖で、一時ひとりきりだった淋しさもあったのだろう、私はその若者に話しかけてみた。別にどうこうしようという下心など全く無く、単なる暇つぶしだったのだが。
「・・・・・お兄さん、この辺の人?」
大阪の人は見知らぬ人から話しかけられても、けっこう相手になってくれるところがあって、その若者も私を特別に警戒することもなく、答えてくれた。
「はい、そうです。」
「ひとりで住んでるの?」
「はい。ずっとひとりで住んでます。」
「淋しくない?」
「いいえ。全然淋しくないです。なんでも好き勝手にできるし、気楽だし、ひとりがいいです。」
「でもまだ若いのに、恋人とか欲しくないの?」
「全然欲しくないです。ひとりがいいです。ひとりが一番です。」
確かこんな会話をしたと思う。
(何かちょっと変わった若者だなあ、まだ若いのに、友人とか恋愛とか、まだまだ楽しめる年頃だろうに、欝屈してるのかな、それとも対人関係が上手く出来ないタイプなのかな・・・・)
と、少々その若者を憐れに思った記憶がある。
あの若者はまだひとりで生きているのだろうか。
そして、寂しいと感じることも無く、人に依存する事も無く、別れの悲しみを経験する事も無く、ひとりの生活を楽しんでいるのだろうか。
もしそうだとしたら、あの時あの若者を憐れんだ私が負けだったことになる。
私が勝手に負けたと思うだけで、一回会ったきりのほんの数分会話しただけのあの若者にとっては何の関係も無い事なのだが、あの「ひとりがいいです。」と言い切ったあの覚悟に、私は負けたと思う。
妙にあの若者との会話を最近思い出すのだ。
そう、あの時私には祥一郎が居て、ひとりじゃない、私は孤独じゃない、人の温もりを知らないなんて、なんて可哀想な若者なんだろうという奢りがあったのではないか。
今、そう思うのだ。
確かに私には20数年間の宝物のような祥一郎との暮らしがあった。
しかしそれを失い、この歳になってたったひとりで、生きる意味も無くなり、方向も見えなくなってしまった。
あの、孤独をものともせず、かえってそれを楽しむ覚悟があったあの若者。
祥一郎と寄り添い、支え合い、温もりを感じ合う経験をしてしまった私に、あの若者のような強さはもう無い。
愛する人を得ることは素晴らしい。
でも、それを喪うリスクに思いを馳せなかった私は愚かだったのだろう。
出逢わなければよかったというそんな話ではなく、愛する人とこれからも生活できるはずだと漫然と油断していた自分が愚かだったのだ。
祥一郎・・・・おっちゃんはお前がいつも居てくれるという安心感に胡坐をかいて、慢心していたんだね。
お前があんなに突然居なくなるなんて考えもしないで・・・・
もう何もかも遅い・・・・・それが悲しく、悔しいよ・・・・・