何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

「風呂好き祥一郎」

2016年04月26日 | ひとりぽっち

祥一郎・・・・・・・

昨日はちょっと足を伸ばして、スーパー銭湯に行って来たよ。

先日、お前がいなくてあまりに寂しいから、職場の仲間とうちで飲み会をやって飲み過ぎて調子が悪かったから、酒を抜こうと思ってね。

お前にも献杯したけど、飲んでくれたかい?

お前と一緒に行きたかったスーパー銭湯。

風呂が大好きだったものね。

お前と暮らし始めて、お前が風呂に入らなかった日の記憶が無い。律義に絶対風呂には入っていた。


そうそう、あの初めて一緒に暮らした東京谷中のトタン屋根のボロアパートには勿論風呂が無かったから、毎日銭湯に通っていたね。

二人で洗面器に入浴用品を入れて、寒い日は息を白くして足早に通ったよね。まるで神田川っていう歌に出てくるカップルみたいに。

おかしかったのは、やっぱり二人はゲイだから、イケメンが風呂にはいってくると、お互い目配せしたり、きょろきょろしたり、そのイケメンの身体を隅から隅までチェック。
そして風呂からあがってから、

「おっちゃん、あんまりきょろきょろしたらあかんで。みっともない。」「なに言うてんの。おまえこそ。」
なんて言い合ったものだ。

おかしかったね。二人とも腐ってもゲイなんだと自覚したもんだった。

ポカポカに温まった身体で二人で仲良く帰り、部屋でアイスを食べるのが習慣だった。

本当に貧乏な生活だったけど、今となっては懐かしく楽しい想い出だ。

ちょっと出世して、風呂付のアパートに住むようになってからは、お前は食後必ずほぼ同じ時間に風呂に入ってた。

おっちゃんがどちらかというと20分位のカラスの行水なのに対して、お前はゆっくりゆっくり40分くらいかけて入浴を楽しんでた。

そして上がると、身体や顔に色々なクリームやボディローションを塗りたくって、顔パックもして、入浴はお前にとって一日で一番重要な儀式だというようにね。

入浴用の色々な石鹸や、バスクリンなんかも揃えて。とにかく風呂に関するこだわりは半端じゃなかった。

朝は朝で、朝シャンは必ずしてた。あれはちょっと薄くなってきた髪の毛の生え際に刺激をあたえていたんじゃないかとおっちゃんは睨んでたんだ。

そしてその後は、風呂掃除。
パンツ一丁で、隅から隅まで綺麗にしてくれてたよね。おかげでおっちゃんも清潔な風呂に入れていたんだ。

後で知ったけど、水周りというのは清潔にしないと悪いものが寄ってくるという説があって、それでお前は風呂掃除をしっかりやっていたんだと思う。
掃除の後は、寒い日でもちゃんと窓を開けて換気していた。

そうだ、ときおり考えていたんだ。
お前をいつか関東近郊の温泉へ連れて行って、そこで二人で新年を迎えられたらいいなあと。「そんな遠出はしんどいわ。」とか言うかもしれないけど、予約してしまえば絶対お前はついてきたはず。

結局それは言い出せずに、お前はもう逝ってしまったけれど。

足を少しは伸ばせる広いバスタブのあるマンションにはついぞ住めなかったけど、ごめんね。

それでもお前は少しでも入浴を楽しもうと、色々工夫していた。

風呂好き祥一郎・・・・・・・・・・


あの日・・・・・・お前が倒れて吐血して、体中どす黒い血だらけになってしまってそのまま病院に運ばれた。

おっちゃんは思ったんだ。

可能なら、意識の無くなったお前の身体を、風呂に入れてあげて綺麗に綺麗にしてやりたかったと。

だってお前のあの最期の日だけは、お前は風呂に入れなかったんだもの。

冷たくなっていく身体を懸命に温めてやりたかった。「祥一郎、祥一郎、戻ってこい!、戻ってくるんだ!」と叫びながら。

・・・・・・・・・・

お前は戻ってこなかった・・・・この世でお前が風呂を楽しむ姿はもう見られなくなってしまった。


大好きな風呂にはもう入れないのかな。それともお前の居る世界には、豪勢なローマ風呂でもあるのかな。それにお前は先に行っていた愛する人たちと一緒に入っているのかな。

そんな想像もしてみる。

祥一郎・・・・・・・

昨日行ったスーパー銭湯で久しぶりにおっちゃんは体重を計ったんだ。12キロ以上痩せていたよ。
貧相になった身体、そして顔は目が真っ赤で、悲しみが顔中に滲みついた表情をしていた。

おっちゃんはこの姿で生きて行くのかなと思った。それもいいさ。

それがお前を亡くした悲しみの結果なら、この身体と顔がお前を喪ったことを表現するなら、本望だとおっちゃんは思っているんだ・・・・・・・

祥一郎・・・・・・・・お前は今どこに居る?どこに居るんだい?・・・・・狭いうちの風呂だけど、好きなだけ入っていいんだよ。

祥一郎・・・・・・



にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

「ある若者との会話  慢心していた私」

2016年04月25日 | 何故死んでしまったの


あれはも15~16年くらい前、祥一郎と大阪で暮らしていた頃の事。

その頃の祥一郎と私はお互い仕事を持ち、プライベートは勝手な事をやって、貧乏ではあったがけっこう楽しく生活していた頃だった。

勝手な事をやっていても、狭い部屋だったが帰る場所はお互い一つだった。
まあ男女の夫婦で言えば、イケイケモードが終って、熟した関係になった頃かもしれない。


そんなある夏の夜、あまりはっきりと覚えていないが、なぜか私はコインランドリーで洗濯をしていた。

祥一郎が友人と遊びに行っていたか、実家に帰っていたかそんな時だったと思う。

小汚いコインランドリーに、ひとりなかなかのイケメンの若者が漫画本を読みながら、洗濯が済むのを待っていた。

いやらしいゲイの性癖で、一時ひとりきりだった淋しさもあったのだろう、私はその若者に話しかけてみた。別にどうこうしようという下心など全く無く、単なる暇つぶしだったのだが。

「・・・・・お兄さん、この辺の人?」

大阪の人は見知らぬ人から話しかけられても、けっこう相手になってくれるところがあって、その若者も私を特別に警戒することもなく、答えてくれた。

「はい、そうです。」

「ひとりで住んでるの?」

「はい。ずっとひとりで住んでます。」

「淋しくない?」

「いいえ。全然淋しくないです。なんでも好き勝手にできるし、気楽だし、ひとりがいいです。」

「でもまだ若いのに、恋人とか欲しくないの?」

「全然欲しくないです。ひとりがいいです。ひとりが一番です。」

確かこんな会話をしたと思う。

(何かちょっと変わった若者だなあ、まだ若いのに、友人とか恋愛とか、まだまだ楽しめる年頃だろうに、欝屈してるのかな、それとも対人関係が上手く出来ないタイプなのかな・・・・)

と、少々その若者を憐れに思った記憶がある。

あの若者はまだひとりで生きているのだろうか。
そして、寂しいと感じることも無く、人に依存する事も無く、別れの悲しみを経験する事も無く、ひとりの生活を楽しんでいるのだろうか。

もしそうだとしたら、あの時あの若者を憐れんだ私が負けだったことになる。

私が勝手に負けたと思うだけで、一回会ったきりのほんの数分会話しただけのあの若者にとっては何の関係も無い事なのだが、あの「ひとりがいいです。」と言い切ったあの覚悟に、私は負けたと思う。

妙にあの若者との会話を最近思い出すのだ。

そう、あの時私には祥一郎が居て、ひとりじゃない、私は孤独じゃない、人の温もりを知らないなんて、なんて可哀想な若者なんだろうという奢りがあったのではないか。
今、そう思うのだ。

確かに私には20数年間の宝物のような祥一郎との暮らしがあった。

しかしそれを失い、この歳になってたったひとりで、生きる意味も無くなり、方向も見えなくなってしまった。

あの、孤独をものともせず、かえってそれを楽しむ覚悟があったあの若者。

祥一郎と寄り添い、支え合い、温もりを感じ合う経験をしてしまった私に、あの若者のような強さはもう無い。

愛する人を得ることは素晴らしい。

でも、それを喪うリスクに思いを馳せなかった私は愚かだったのだろう。

出逢わなければよかったというそんな話ではなく、愛する人とこれからも生活できるはずだと漫然と油断していた自分が愚かだったのだ。

祥一郎・・・・おっちゃんはお前がいつも居てくれるという安心感に胡坐をかいて、慢心していたんだね。

お前があんなに突然居なくなるなんて考えもしないで・・・・

もう何もかも遅い・・・・・それが悲しく、悔しいよ・・・・・

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

トレーニングセンター  祥一郎の足跡

2016年04月24日 | 何故死んでしまったの


祥一郎・・・・・・

きょうはね、ちょっと思いたって、お前が月に何度か通っていたトレーニングセンターを探して行ってみようと思ったんだ。

区内の町名のついた体育館にあると聞いていたから、調べたらすぐわかったよ。

でも、同じ区内とはいえ、よくこんな遠くまであのボロママチャリで通っていたね。

おっちゃんちょっと迷ってしまったよ。

やっとみつけた〇〇〇体育館。

そこの受け付けでまず聞いてみたたんだ。

「ここは、会員制でカードを発行したりするのですか?」

その質問には月極めで使用する人はカードがあるらしいけど、好きな時に使用する分には一回だけのチケットを購入して、番号を記入するだけらしい。値段は300円
だから勿論ロッカーなんか使用してなくて、私物も預けて無かったね。


体育館に併設されたそのトレーニングルームに見学者として行ってみたよ。

まあ想像していたとおり、それほど広くも無く、うらぶれたトレーニングルームだった。
機械もそれほど多くは置いて無かったね。

でも土曜日だということもあって、結構な人が汗を流していた。

そこに立っていたおそらくインストラクターだと思われる若い女性に聞いてみたんだ。

「ここは、使用するのに名前を記入したりするんですか?

「いえ、チケットを買って頂いて、その番号を記入していただきます。」

ということは遡っても、お前の名前を記入した参加者名簿は無いということだ。

だから一瞬ちょっと迷って、そのインストラクターのお姉さんに、お前の画像を見せてみたんだ。

「あの・・・・こんな人を御存知ですか?」

「えっ?ちょっと私は・・・・あれ、この二枚の画像、同一人物ですか?」

「はい、そうです。」

「あっわたし、知ってるかも知れません。真っ黒に日焼けして、いつも笑顔の方ですよね?」

「多分そうだと思います。」

「お探しですか?」
「いえ、実は・・・・この人、去年末に亡くなってしまって。もしかしたら私物でも預かってないかと思って来て見たんです。」

「えええ?そうなんですか?まだお若いでしょ?」

「・・・・・46歳でした。」

「そ、それは・・・・・・・」

「・・・色々とお世話になりました。」

最後の方はおっちゃん、涙声になってその場を後にしたよ。

もしかしたらお前の名前の書いた名簿くらい残っていないかと思ったけど、無駄だったね。

帰り路、思ったんだ。

お前は貧乏は貧乏なりに、好きなトレーニングを如何に安くやろうと、ここへ通っていた。。

もっと近くにフィットネスクラブはあるけれど、月の会費がとても払える値段じゃなかったので、お前はやっと探したこの場所に通っていた。

一生懸命身体を鍛えて、一生懸命生きようとしていたんだね。

いじらしくて、可哀想で、哀しくて、淋しくて、おっちゃん帰りながら自転車に乗って涙が溢れてどうしようもなかったよ。

結局何もお前の生きた証の収穫はなかった。

唯一、あのインストラクターのお姉さんが覚えていてくれたことか。

なにやら先日書いた、近所のスーパーのお話しみたいだね。

でもうろ覚えでも、あのお姉さんが少しでも覚えていてくれたのは、おっちゃん嬉しかったよ。
きっとすぐ忘れてしまうだろうけど・・・・


お前が通って足跡を残した施設に行ってきて、少しでもお前を身近に感じたかったきょうの出来事だった。

もう遠くに逝ってしまった祥一郎、お前の存在をね・・・・・・・・



にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

「ゲイとしての苦悩、葛藤  そして幸せ」

2016年04月23日 | LGBT


ゲイであること、それは真正のゲイである以上、逃れられない。

ゲイであることは、別に特別楽しいわけでは無く、色々な苦悩や葛藤があり、肉親や親戚、、友人との関係、要するに人間関係に悩み、そして職場での立ち位置や、結婚やパートナー選び、老後の人生設計等々、非ゲイの人たちとはまた違った課題が山ほどある。

しかし繰り返すようだが、セクシャリティというものはおいそれと変われるものでは無く、基本的には一生付き合わなければならない。
その属性が嫌であろうとなかろうと。


祥一郎も、自分がゲイであることに少なからず葛藤や苦悩があったようだ。

それは彼のブログの記述や、SNSの呟きを読んでも推測できるし、私にも、日常生活でゲイであることでの悩みを口にしていたことがある。

「ほんと、なんでオカマってこんなに女々しいんやろ。」

「オカマってさあ、基本自分が一番大事なのよね。」

「なんでホモってこんなにネガティブなんやろか。」

等々、よく愚痴っていたものだ。

彼のブログやSNSでは、プロフィールはまるきりストレートの男性で既婚者で子供までいる設定になっていたり、或いはバイセクシャルで、別れた妻との間にやはり子供が居るという設定だったり、別人格を装っていた。

一方でツイッターでゲイ専用のアカウントをとり、友達を募集したり、部屋にゲイの友人を招いて私に紹介したこともある。
集める画像は、海外の男性ヌードが満載で、それをネタにツイッターも楽しんでいたようだ。

私も自分がゲイであるからこそ分かる。
ゲイである自分が、時々嫌になることがあったのだろうと。だからこそ非ゲイを装い、違う自分を演じていたかったのだろうと。

享楽的で個人主義、自分が一番大事で、迷惑をかけたりかけられたりするのが苦手、セックスはお手軽で、相手を探すのも刹那的、そういう面がゲイには確かにある。

それが故、老いて添遂げるまで一緒に暮らすゲイはごく一部なのだ。
まあこれは社会自体のゲイへの理解度とも関係があるが。

ゲイで無い人々は、テレビに出てくるオネエタレントや、カミングアウトしている有名人のゲイを色もの扱いして喜び、或いはボーイズラブの世界に憧れてマニアになったり、要は他人事なのだ。

市井の名も無い何の取り柄も知名度も無いゲイ、すぐそばにすぐ隣に居るかもしれない普通の男性のゲイになど、何の興味も無い。そういう風潮が少なくとも今の日本ではまかり通っている。

私は行きがかり上職場ではカミングアウトしているが、同僚や上司は「今はそんなのなんでもない。」とのたまう。
それは自分の事として悩んだことが無いから言えるのだ。自分の親が、子供が、妻が、夫が、LGBTのどれかだとしたら、本当に冷静で普通に接する事の出来る人がどれだけ居るか。

祥一郎も私もある程度歳を重ねたゲイだから、その辺のことは分かり切っていた。

自分がゲイであることが嫌になり、他の生き方もあったのではないかと夢想したり、別人格をネット上で演じてみせたりするのは、あながち稀なことではないだろう。いや、そういうゲイは想像以上に多いのかもしれない。

そして祥一郎は、逃れられないゲイとしての自分の人生、その今までの人生を振り返って、決して幸せな事ばかりでは無かったのはよくわかっていたのだと思う。寧ろ葛藤や苦悩の方が多かったと思っていたかもしれない。

・・・・・・・・
それでも祥一郎と私は一緒に居た。20数年も。

お互いそれぞれのゲイとしての価値観があり、それが交わることあれば、考え方の相違もあった。

それは当然であり、ゲイとて十人十色、当たり前だ。

でもひとつ言えることがある。

それはゲイであったからこそ祥一郎と私は出逢い、暮らし、愛し愛されたのだ。

社会的に法律的に何の保証も庇護も受けられないけれど、ゲイであった故に同性同士のカップル、パートナーとして長い年月を供に歩んで来たのだ。

畳を変えるようにセクシャリティという人間のひとつの属性を変えるわけにはいかない以上、それは事実として認め、誰にも非難される筋合いの無いものだ。

だからこそ私は、様々な葛藤苦悩がありつつも、祥一郎と出逢い暮らせたことを何物にも代え難い大事な人生の経験だと思っているし、幸せなことだと思っている。

そしてそれは今も続いているのだ。彼が天に召されてしまった今でも。

私は死ぬまでゲイとして、祥一郎を愛し、想い、悲しみ、悔み、そしていつか再会したいと願いながら生きて行くのだ。

祥一郎・・・・・・
おっちゃんはゲイでよかったよ。

だって、そうでなければお前とは出逢えなかったもの。

お前と出逢えて、おっちゃんのゲイとしての人生は初めて虹色に輝いたんだよ・・・・・。

心の底からそう思うんだ。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

体調悪化  狂った生活のリズム

2016年04月23日 | 死別体験

 祥一郎が亡くなってから、4ヶ月が経とうとしている・・・・ たった4ヶ月・・・・何も変わるはずがない。

祥一郎を喪った、ありとあらゆる負の感情は一向に小さくならず、何かをして少しは忘れようと足掻いても足掻いても、それが終れば元の悲しみに取りつかれた壮年の男に戻ってしまう。

ここへ来てまた体調を崩してしまった。 胃から腹部にかけて耐えられない痛みを感じ、下痢も併発。便の色も血が混じっているようだ。

医者にはウイルス性胃腸炎だと診断された。 勿論仕事には行けるはずも無い。

あれから私の生活は乱れに乱れている。

食事は、朝、昼共に小さなパン一個のみで済ませ、夜はコンビニ弁当やレトルトのカレーなど、およそバランスのとれた食事とは言い難い。

しかし、何かをまめに作って、色々考えて料理を作ろうという気にならないのだ。 野菜不足、偏食、粗食・・・・・ そして感情を抑えようと心療内科でもらった薬を多用し、そうでないときは酒を煽る。

体調を崩さない方がおかしい生活になってしまった。 ただでさえ不規則な仕事で、健康な人でも体調管理の難しい介護の仕事。

これではこの先、続けて行けるかどうか。 二人で暮らすということは、生活の質を整えなければやっていけない。そして食事も二人分となると、色々と気配りした料理を作るものだ。

そう、あの頃は生活にリズムがあった。 今は、ひときっきりになり、電池の切れかけた時計の秒針のように、進んでは止まり、止まっては進むというような生活になっている。規則正しいリズムなど全く無くなってしまった。

祥一郎の昼寝用に新調したソファーで横になり、痛みに耐えている。 こんなときあいつが居たら、おぼつかない手つきでお粥のひとつも作ってくれただろう。 そして早目に寝るよう、寝床を整えてくれただろう。 私は、そんな状態でもあいつの背中を見ながら、痛いだの苦しいだのと甘える事ができただろう。

誰かが傍に居てくれる・・・・ 体調の悪い時にはそれがどんなに心強いことなのか、今身を持ってそれを、逆の意味で強く感じている。

今は誰も傍に居ない・・・・・ 悲しみに耐え、喪失感に耐え、孤独に耐え、

そして体調悪化にひとりで耐える。そうするしかないのだから。

私はもう還暦まで残り4年だ。 今の悲しみのどん底のような状態が何年続くかもわからない。

あいつが生きて居た頃の体調に戻る可能性は低い。

愛する伴侶を亡くした人は、あまりの悲しみの為に自らも体調を崩し、やがて遅からず後を追うように自分も死んでゆくケースが多々あるという。 自分がそうなるならそれでまったくかまわない。


ただ、できるならあまり苦しまずに、安らかに祥一郎の後を追いたいものだ。そして「祥一郎、今おっちゃん帰ったよ。」と、にっこり笑ってあいつを抱きしめたい・・・・・・。 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ