ブログをサボっている間に、京都でのスクーリングも終盤を迎えてきました。
今回UPしたのは、大学の書の授業で作った作品です。
小学生の頃、書道の授業はとても苦痛でした。
どうしてかというと、筆の使い方を知らなかったからなのです。
それに気づいたのは、北京大学の3年の時。
書道の必修科目の授業の時、筆を根元まで下ろすように先生に言われました。
言われたとおり根元まで下ろすと、書くように指定された文字はものすごく細いものでした。
唖然。。。。
太い筆で細い文字を書いたことがなかったのです。
小学生の頃、太い筆を根元まで下ろし、根元まで使って書いていました。
おばあちゃんによく、「とん、しゅ~~~」といわれてました。それは、たとえば、漢字の一のとき、
とん、と筆をおいて、しゅ~~~ と横に筆を動かす。
これを「とん、しゅ~~~」というのですが、
これを当然のように根元までぐっといくのが、とん。
それを右へす~っとではなく、ぐぅ~っと動かすのが、しゅ~~~だったのです。
当然紙に対して太い文字しかかけません。
ちょうどいい文字を書こうとして、次に取った作戦は、クラスのあまり書道が上手ではなかった男の子が、
太い筆を半分だけおろして、使っていたのをみたので、
同じように半分だけおろして、それをやっぱりめいいっぱい根元まで使って書いていました。
細い文字はかけるけれど、動きのない文字でした。
小学校5年生と6年生の年始の書初めは悲惨でした。
5年生の時、太い筆でぐいぐい書いていた私の書初めは、
金賞と銀賞の間に貼られていました。
クラスの中でも1・2を争うへたくそが、
金賞と銀賞の間に貼られるという屈辱。。。
6年生の時には、体育館に貼られ、授業参観のときに親が自由に作品を見ることができるようになっていたのですが、
私の書初めはなんと、体育館の中であんなに広い空間のなかで、男便所と女便所の間にちょうど1枚だけ貼ることができるそのスペースに貼られました。
名簿順だったので、先生の嫌がらせではないとわかってはいても、
そこに貼る必要が果たしてあるのか!!と、
かなりへこみました。
母は、あまりのひどい書初めに自分の娘の書と人に知られないように立ち止まってみることもなく、
通り過ぎたでしょう。。
いつもおばあちゃんの書いてくれた見本を上からなぞって提出していました。
書道教室は2回くらい行ってやめました。
こんなに書に縁がなかった 私が、
大学の必修科目でまた筆をとったとき、
最初に書いたように初めて、筆を全部下ろして、それを上下の強弱をつけて書くということを知ったのです。
同じ筆で細い文字も太い文字もかける!
どうして小学生の頃、このことに気づかなかったのでしょう?
大人は教えてくれるわけもなく。。。
だって、気づくのが当然でしょ。。だから教えてくれなかったんだろうね。
ということで、書にたいしてはトラウマを抱えていたのですが、
今回の課題は好きなように書いていいということだったので、
文字の上手さはたった2日の練習ではどうしようもないので、
丸文字をテーマにすることにしました。
普段各文字は結構丸文字なので。
1枚目は年賀状がテーマでした。
色々考えた結果、来年の干支 辰 を真ん丸く書きました。
元旦という文字をもじって、右下にカタツムリのようなマークを入れました。
にじませるという技法も我ながら気に入ってます。
2枚目は、和歌を写すという授業で書きました。
完全にコピーするという昔からの技術が必要とされるということで、
創作は一切不要。
ただひたすら完全にコピーをするということを学びました。
3枚目は色紙です。
何を書くか、一応考えていました。。
ゴスペラーズのコンサートに行ったばかりだったので、
なんとかゴスペラーズに関わる文字を書きたかったのです。
これはかなり苦戦しました。
書き始めるまでに1時間以上悩みました。
先生から丸く書いてみたら?とアドバイスを受け、
それに、流れ星をイメージして、動きをつけ始めたら、
とっても楽しくなりました。
私らしい個性の出た作品に仕上がりました。
この授業は、先生がとってもかわいくて、
宮崎あおいちゃんとYOUを足して2で割ったような感じで、
私が小学校の時のトラウマがあり、
とってもちぢこまってたのを心配してくれてたようで、
その後私の同級生が先生のところへ実際に書道を習いに言った時、→神戸まで
先生が、私の2日間での伸びをとてもほめてくれていたと聞いて、
にやにやするほどうれしかったです。
いつものように、とっても長い文章になってしまいましたが、
やっぱり書きたいことがたまっているので、こうして書くのはとても楽しいぞ!
できる限りこれからも書いていこう!と思います。
今回UPしたのは、大学の書の授業で作った作品です。
小学生の頃、書道の授業はとても苦痛でした。
どうしてかというと、筆の使い方を知らなかったからなのです。
それに気づいたのは、北京大学の3年の時。
書道の必修科目の授業の時、筆を根元まで下ろすように先生に言われました。
言われたとおり根元まで下ろすと、書くように指定された文字はものすごく細いものでした。
唖然。。。。
太い筆で細い文字を書いたことがなかったのです。
小学生の頃、太い筆を根元まで下ろし、根元まで使って書いていました。
おばあちゃんによく、「とん、しゅ~~~」といわれてました。それは、たとえば、漢字の一のとき、
とん、と筆をおいて、しゅ~~~ と横に筆を動かす。
これを「とん、しゅ~~~」というのですが、
これを当然のように根元までぐっといくのが、とん。
それを右へす~っとではなく、ぐぅ~っと動かすのが、しゅ~~~だったのです。
当然紙に対して太い文字しかかけません。
ちょうどいい文字を書こうとして、次に取った作戦は、クラスのあまり書道が上手ではなかった男の子が、
太い筆を半分だけおろして、使っていたのをみたので、
同じように半分だけおろして、それをやっぱりめいいっぱい根元まで使って書いていました。
細い文字はかけるけれど、動きのない文字でした。
小学校5年生と6年生の年始の書初めは悲惨でした。
5年生の時、太い筆でぐいぐい書いていた私の書初めは、
金賞と銀賞の間に貼られていました。
クラスの中でも1・2を争うへたくそが、
金賞と銀賞の間に貼られるという屈辱。。。
6年生の時には、体育館に貼られ、授業参観のときに親が自由に作品を見ることができるようになっていたのですが、
私の書初めはなんと、体育館の中であんなに広い空間のなかで、男便所と女便所の間にちょうど1枚だけ貼ることができるそのスペースに貼られました。
名簿順だったので、先生の嫌がらせではないとわかってはいても、
そこに貼る必要が果たしてあるのか!!と、
かなりへこみました。
母は、あまりのひどい書初めに自分の娘の書と人に知られないように立ち止まってみることもなく、
通り過ぎたでしょう。。
いつもおばあちゃんの書いてくれた見本を上からなぞって提出していました。
書道教室は2回くらい行ってやめました。
こんなに書に縁がなかった 私が、
大学の必修科目でまた筆をとったとき、
最初に書いたように初めて、筆を全部下ろして、それを上下の強弱をつけて書くということを知ったのです。
同じ筆で細い文字も太い文字もかける!
どうして小学生の頃、このことに気づかなかったのでしょう?
大人は教えてくれるわけもなく。。。
だって、気づくのが当然でしょ。。だから教えてくれなかったんだろうね。
ということで、書にたいしてはトラウマを抱えていたのですが、
今回の課題は好きなように書いていいということだったので、
文字の上手さはたった2日の練習ではどうしようもないので、
丸文字をテーマにすることにしました。
普段各文字は結構丸文字なので。
1枚目は年賀状がテーマでした。
色々考えた結果、来年の干支 辰 を真ん丸く書きました。
元旦という文字をもじって、右下にカタツムリのようなマークを入れました。
にじませるという技法も我ながら気に入ってます。
2枚目は、和歌を写すという授業で書きました。
完全にコピーするという昔からの技術が必要とされるということで、
創作は一切不要。
ただひたすら完全にコピーをするということを学びました。
3枚目は色紙です。
何を書くか、一応考えていました。。
ゴスペラーズのコンサートに行ったばかりだったので、
なんとかゴスペラーズに関わる文字を書きたかったのです。
これはかなり苦戦しました。
書き始めるまでに1時間以上悩みました。
先生から丸く書いてみたら?とアドバイスを受け、
それに、流れ星をイメージして、動きをつけ始めたら、
とっても楽しくなりました。
私らしい個性の出た作品に仕上がりました。
この授業は、先生がとってもかわいくて、
宮崎あおいちゃんとYOUを足して2で割ったような感じで、
私が小学校の時のトラウマがあり、
とってもちぢこまってたのを心配してくれてたようで、
その後私の同級生が先生のところへ実際に書道を習いに言った時、→神戸まで
先生が、私の2日間での伸びをとてもほめてくれていたと聞いて、
にやにやするほどうれしかったです。
いつものように、とっても長い文章になってしまいましたが、
やっぱり書きたいことがたまっているので、こうして書くのはとても楽しいぞ!
できる限りこれからも書いていこう!と思います。