貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・妄想物語

2022年10月30日 | 流れ雲のブログ

















友人のK君から聞いた話です。   

今から10年ほど前のこと。釣りが趣味のK君は、
とある釣り仲間から山陰の日本海側にある
“釣りスポット”を教えてもらいました。

そこで早速、当時付き合っていた彼女と
一緒に、車で夜釣りに出掛けたそうです。

ただ、初めていく釣り場ということもあり、
道に迷ってしまい、彼らがようやく目的地に
着いたのは午前0時。

駐車場などはなく、海岸沿いに車を停めると、
あたりは真っ暗だったそうです。

他に釣り人もいないし、まわりには民家なども
まったくない、そんなさびしい海岸だったと、
K君は言います。

そんななか、早速釣りを始めたK君でしたが、
全くアタリも無いまま、1時間、2時間……と、
ただ時だけが過ぎていきました。

1人なら何時間粘っても平気なんですが、
今日は彼女と一緒に来ている。その彼女は
隣でじっとしていて、おそらく手持ち無沙汰
にしている。

そこで彼は気を遣って、「飲み物でも買って
くるわ」と言い、少し離れた自販機まで
ジュースを買いにいきました。  

そして飲み物を手に戻ってくると、彼女は
見知らぬ人たちに囲まれていました。

それはどうやら4人組で、とはいえ彼女とは
楽しそうに話をしているのです。

不審に思いながら近づいていくと、K君に
気づいた彼女が「地元の方ですって」と
紹介してくれました。

しかも、その4人は家族なのだと。  

確かに、お父さん、お母さん、中学生くらい
の女の子、そして小学1年生くらいの男の子
の4人組で、家族であるのは本当のようです。

「この先にもっと魚が釣れる場所があるんですよ」  

ただ、この家族はなぜ、こんな夜遅くに小さな
子どもを連れて出歩いているのだろう……。

そんなことを思っていると、お父さんらしき人が
ヌーッとK君の前にやって来て、

「ここは釣れないでしょう。この先にもっと魚が
釣れる場所があるんですよ。一緒に行きませんか」
と、誘ってきました。  

もしかしたらここは、仲間から教えてもらった
釣りスポットと、少しズレていたのかもしれない。
そう思いながらもK君は躊躇しました。

なぜなら、 彼らとはいま出会ったばっかりですし、
何よりもその家族には、うまく言葉にできない
ながらも、妙な違和感を覚えていたからです。

そこでK君は、「彼女と来てるんで……」と
断ろうとしました。

しかしその瞬間、彼の言葉を遮るように彼女が
こう言ったのです。「行こうよ、連れて行って
もらおうよ」と。  

気が乗らないK君でしたが、彼女はいつにも
増してしつこく誘ってきました。

なんだか違和感はありますが、向こうは子供
連れなので、まぁ、変なことはしてこないだろう。
彼は迷いながらも結局、その家族について
いくことにしました。

家族に感じていた違和感の正体  

しかし、“父親”が「こっちですよー」と、彼を
導くように後ろを向いた、そのとき。何気なく
見えたその首元に、K君の視線は吸い寄せ
られました。

本来隠れているはずの服のタグが、見えて
いたからです。

「あれ!?」 彼は確かめるように、その家族全員
の服装をまじまじと見ました。

そして……先ほど感じていた違和感の正体、
それに気づいたんです。  

父親だけでなく、母親も、娘も、息子も、みんな
服が裏返しだったのです。ズボンもスカートも
何もかも……靴までも、左右あべこべに
履いている…。

生者と死者を分ける「逆さ事」  

日本には“逆さ事”という風習があるのを
ご存知でしょうか。  

死者の世界はこの世と全てが逆になっている、
という考え方のもとに、

たとえばお葬式の時には着物を左前にしたり、
足袋を左右逆に履かせたり……そうしたことで、
死んだ人間と生きてる人間とを区別する
風習です。

それを知っていたK君は、目の前の家族を
見て直感しました。「この人たち、この世の
ものじゃない」。

そして本能的に「逃げなアカン!」と思いました。

そこでK君は、彼女にそっと耳打ちしたのです。
「1、2、3で逃げるぞ」  1、2、3――。

事情を飲み込めていない彼女の腕を掴んで、
その場からダッーと走り去りました。

そして全速力で車まで戻ったK君は、彼女を
助手席に押し込み、自分も急いで運転席に
乗りこみました。

「えーー! すごーい!!」彼女はあまりの事に
戸惑い「どうしたん、何があったん」と尋ねてきました。

「お前気づかなかったんか? あいつら全員
服が裏返しやったやろ。ズボンも裏返し、靴も
左右あべこべに履いてたぞ! 

あれはヤバいって!」 そう言った瞬間、
彼女は、「えーー! すごーい!!」と
言いながら、“手の甲”で拍手をしたのです。

そして「ハハッハハッハハッハハハ」と、聞いた
事のない声で笑いだしました。  

恐怖を覚えたK君は、慌ててギアをドライブに入れ、
アクセルを踏みました。しかし、「ザザ、ズズズッザー」
とタイヤが擦れる音がして、車は海の方へとバックを
しはじめました。

まるでこのまま、海の中へと引きずりこまれるように
……。 その家族は笑うでもなく、怒るでもなく……
「お、おい! 車が後ろに進んでる……どうゆう事や!」  

助手席の彼女に向かって必死に叫ぶと、彼女は
カッと目を見開き「……大丈夫、ちゃんと前に
進んでいるよ」。そう言ってフッと気を失ったのです。  

それと同時に車も止まりました。

海に落ちるまでほんの数センチ……。本当に
ギリギリのところだったそうです。  

なんとか気を取り直し、エンジンをかけ直すと、
幸い車は正常に動きだし、その場から離れる
事ができました。

しかし、バックミラーを見ると、先程の家族が
すぐそこまで迫っているのが見えたそうです。

ただ、その表情は笑うでもなく、怒るでもなく、
どこか少し寂しげだったとK君は言います。  

後でわかった事ですが、その場所ではかつて、
車で海に飛び込んだ一家心中事件があった
そうです。

それが、K君の体験した出来事と何か関係が
あるのか。それは誰にもわかりません。…












病院へ行ったからといって病気が治る
わけではありません。

薬は症状を抑えることはできても、病気を
治すことはできません。

今の医学では、風邪すら治すこともでき
ないのが現実です。

何が病気を治すのかというと、人間がもともと
もっている自然治癒力です。

転んで擦り傷をしたとき、消毒するくらいは
するかもしれませんが、何もしなくても、
自然に治ってしまいます。

それは、自然治癒力があるからです。

この自然治癒力は、その人のこころと
とても深い関係があります。

悩んだり、落ち込んだりすると、
自然治癒力は低下します。
こころがときめいていると高まるのです。

七○歳くらいの胃がんの女性ですが、
まだ病巣は小さかったので、私は手術を
すすめました。

でも、手術は嫌だと言ってききません。

簡単な手術だからと説得を試みましたが、
絶対にしないと、首を横に振ります。
それじゃ仕方ないと、漢方薬を処方
しました。

でも、もう少し大きくなったら手術だよと
言い含めました。

次の診察では、少し大きくなっていました。
手術をすすめましたが、嫌だと言います。

何度かそんなことが続いて、いよいよこれ
以上になると厳しいなと思ったので、今度の
診察で大きくなっていたら絶対に手術を
するよと最終通告をしました。

しばらくして、彼女が来院しました。
検査をしました。

そしたら、担当医が私のところへ慌てて
飛んできました。

何事かと思ったら、「がんがない!」と
言うのです。そんな馬鹿なと思って私も
画像を見ました。

確かに、あんなに育っていたがんが、
跡形もなく消えてしまっているのです。

私は、患者さんに、「前の診察から今日まで
の間に何かありましたか?」と質問しました。

あったといえば、長年習っている踊りの
発表会があったくらいだということでした。

毎日、練習に明け暮れ、発表会では満足
できる踊りを披露することができたと、
うれしそうに話してくれました。

私 は、これだ! と思いました。

証明のしようはありませんが、大好きな踊りに
没頭したことが彼女の自然治癒力をアップ
させて、がんが消えてしまったのではないか?。

まさに、ときめきががんを消してしまったのです。
こういうことは頻繁に起こることではありません。
しかし、起こったのは事実で、だれにでもその
可能性は秘められています。

一寸先は闇というと、先に何か悪いことが
待っているような印象を受けますが、この
患者さんのように、予期せぬいいことが
待っていることもあるのです。

どんな病気になっても、どんな苦しい状況に
置かれても、先なんてどうなるかわからないん
だと、絶望を希望に変えていけばいいのです。

どんなに考えてもわからない先のことに
あれこれこころを惑わせることをやめて、
今、できること、やるべきこと、やりたいこと
に集中します。

あとは、偉大な自然治癒力に任せます。
それがいちばんの治療法かもしれないと、
思っています。

もっともっと、自然治癒力を信じて、
頼ってもいいのではないでしょうか。


『人間ドックで結果がよかったとしても、
何だかしょぼくれた生き方をしていたら、
その人は果たして健康といえるのでしょうか。

若く見られることに執念を燃やしたり、
健康診断の数値によって一喜一憂したり
するよりも、私たちはもっとやるべきことが
あるはずです。

体力には限界がありますが、人間としての
成長には終わりはありません。

哲学者の池田晶子さんは、「池田は死ぬが
私は死なない」という名言を残して旅立って
行きました。

四六歳という若さでした。
若くして旅立つことを嘆くこともなく、死んでも
自分を高めるぞという強い意志を、私はこの
言葉から感じます。

年を取って何が悪い!
病気で何が問題だ!

老化や死を恐れ、おどおどしながら十年長生き
するよりも、老化も病気もまるごと飲み込んで
勢いよくあの世に飛び込んで行く。

そんな覚悟をもって生きたほうが、充実した
人生を送れるのではないでしょうか。』


中村天風師はこう語っています。


『一度だけの人生だ。
だから今この時だけを考えろ。
過去は及ばず、未来は知れず。
死んでからのことは宗教にまかせろ。』

私たちのこの世界は、どこまで行っても、
今しかありません。

未来ばかり夢見ている人や、過去ばかり
思い出している人は、今がおろそかです。

この今という時間を、楽しみ、味わいつくす
人に、幸運がやってきます。

ワクワクしながら生き、自然治癒力を
高めたいと思います。…