これから書く内容はあくまでも、ある若者側の一方的な目線であり、世の中の現状を正しく反映したものではありませんので、一種の認識の上でのギャップを知る材料の一つに思っていただければ幸いです。
ちなみにここでいう若者は、私とは関係ありませんし、あくまでも私の空想をもとにしたフィクションと思っていただきたいです。
若者は受験戦争に出征する中学生頃に、親や学校の先生、その他大人たちから「戦争の成果によって大人になったときに希望の就職先に付くことが出来る。」という約束手形を受けてから受験に向かいます。
当然、戦争の成果によって得られる報酬対照表に当たるものを提示されて、その報酬獲得に向けて各人切磋琢磨することとなります。
いざ大学を卒業し、その若者が就職すると、いままで頼りにしていた報酬対照表の内容と現実の違いに気付きました。
報酬対照表の内容の違いについて抗議すると、親や学校の先生、その他大人たちは、「石の上にも三年と昔から云い、最低3年勤務しないと報酬対照表に書かれた内容は得られない。」という新たな約束手形を振りだしました。
若者は、前回の約束手形を不渡りにされましたのでその言い分を信じるか悩みましたが、1回ぐらいの手形の不渡りは誰にでも無きにしもあらずのため、ここは新たな約束手形を信じる心で3年勤務することとしました。
そして3年後、再び報酬対照表の内容に疑問を持ち、再度問いただすと意外な回答が返ってきました。
実はこの報酬対照表は1989年頃に作られたもので、今もそのまま使用されているとのことです。
若者は、「その当時と今の状況は違うことは明らかなのに、何故こんなものを今でも使用するのか?」と、反論しました。
すると、「そんなことも分からなかったおまえが馬鹿なんだ!」と捨て台詞をはかれ、塩を撒かれ追い出されました。
若者からすると2回の不渡りを受けたことになり、今まで留まっていた良心の呵責の糸が一気に切れました。
その後、若者は詐偽会社に就職し、詐欺師になるべく腕に磨きをかけることを躊躇しなくなってしまいました。俗にいうサイコパス誕生です。
この時若者は、初めて今までの大人たちからの軛から解放されて、自立できたのかもしれません。
そして世の中には、この若者と同じ境遇の人間を集める詐偽会社が横行しその結果、日本の商品や品質への信頼が著しく低下し、国際競争力は低下していきました。
そんな中で、自立できなかった若者は、思索の世界に迷い込み、世の中でいうニートという存在になりました。
詐欺師とニートは裏表で、純粋で真面目な人間が拗らせると、純粋で真面目にどこまでも拗らせます。
どんな上下関係も2回の不渡りを出せば、終わります。上の人間も今まで通り尊敬の目線でみて貰えるなんて、思わない方がいいです。
問題は、古い上下関係の崩壊に際して若者側がどのように思うかです。
上の人間をある種の神的存在として崇拝していたのであれば、関係崩壊に際して復讐者になるか、引きこもりになるかしか答えはありません。
神で無いものを神として崇拝することを、偶像崇拝といい聖書でも仏典でも禁止されている罪です。
その事から、上記の復讐者や引きこもりは「偶像崇拝者」という罪人と云えます。
そうでなく、上の人間であっても欠点のある存在で、崇拝の対象としては観てはいけないと予め認識していた場合、どうでしょうか?
今回の関係崩壊は、人間関係を拗らせた一つの事象にすぎないと観ることができます。
人間は弱く、何か偉大な神的存在にすがりたい気持ちを持つ生き物です。
もしも、人間関係において大きな不渡りを2回受けた場合、それは正しい信仰に至るための求道の始まりを意味していると考えることができ、初めて人でなく神仏を求めるべき時です。
全てを神仏の差配に委ねる覚悟をして、出家して俗世間から身を引きくことが正しい在り方かもしれませんし、もう俗世間に居るべき存在でないのかもしれません。
世に捨てられた存在は、求めれば神仏が必ず拾います。
良心を失わないためにも、先ずは得度して僧侶としての資格を得ることも、節目を通過する儀礼と思います。
私は若者の早期退職問題の根底は、国民一人一人の「信仰心の不足」であると結論付けざるを得ません。
よって、その対策として意味不明のスピリチュアルやカルト宗教を蔓延させるのではなく、国を挙げて「伝統仏教」や「伝統的キリスト教」の復権に取り組むべきと考えます。
本当の自立とは、正しい信仰を持つことかもしれませんし、自立できないとは誤った信仰に囚われていることかもしれません。
「信仰なんて糞喰らえ!」なんていう人は、一旦臭いものに蓋をすべく良心に蓋をして、上記のサイコパスになるのも自立の一つのあり方です。
中途半端な人情や良心の呵責に縛られて自立せずニートなんかするよりは、100倍良いです。
人間は、とにかく生きていかなけれいけません。たとえサイコパスでも、世の中に役に立っているうちはオールOKなのですし、それが世の中の一つのあり方です。