震災から三ヶ月が経ちました。でも、まだまだ瓦礫の片付けの見通しもたたない様子。。。避難所でお暮らしの方々もまたまだ多く。。。
何もできない小雪家の面々。皆様が一日でも早く仮設住宅に入ることができ、少しずつでも「フツウ」の生活に戻れますよう、お祈りすることしかできません。
被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。
さて、あの日。3月11日。
申し訳ありせん。たいした被害も無かった小雪家の地域ですが、あの日起きたことを記録しておこうと思いました。
午後2時46分。ユサユサとした揺れから始まりました。
「昨日起きた、仙台沖の地震の余震かもねぇ~」
なんてのん気な事を言っていた小雪母。
と間もなく大きな揺れ。もちろん生まれて初めて経験した揺れでした。震度は5強。
何事が起きたのかも分からず。ただただ小雪を抱き寄せるのが精一杯でした。
「もしかしたら、家が壊れるかもしれない?」
玄関先に移動して、ただただ体を揺れに任せることしかできませんでした。
揺れが少し収まった頃、「メールが繋がらなくなったら大変!」と
揺れながらまず、築50年の家に一人住まいの実父にメール「大丈夫?」。
それから、おとうちゃん、妹達、義理の姉…と次々メール。
そして、震源が宮城県沖と知り、お友達にもメール。
幸い、メールは全部送信できました。
揺れが収まって、一応家の中と外を確認
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/85/03d576d50c1ec0629e5c69b56d48356a.jpg)
キッチンの一番下の引き出しが開いていました。
でも、扉は開くことなく、中の食器も倒れていませんでした。
耐震扉様様です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/be/cdd7bfbaf3c8c82e33c00b0594f9ca4d.jpg)
でも、片付け下手な小雪母の机の上に無造作に置かれた文房具類は落下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/27/8c8c538ce001e9932cde98e004588d8f.jpg)
地震・津波警報を知らせるテレビです。
幸い、我が家の地域は停電もしませんでした。
なのである意味、最初から地震と津波のことを見ていたわけで…。
そうこうしている内にやっととれた父との連絡。古い家も父も無事でした。
でも街中は停電。信号も点いてないと…。
「今夜はうちに来て!」と半ば強引に家に呼び寄せました。
妹達も無事。ただ団地の四階に住む妹は、部屋の中がメチャクチャらしい。
「一人で怖いから、おねえちゃんとこに行く!」
と言って妹も一晩泊まりました。
おとうちゃんとは連絡がつきません。
会社に居れば大丈夫だと確信できるのですが…。
しばらく経って連絡がつきました。会社に泊まることになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a8/b6bd513a1ca84b5386b9f793983b30b9.jpg)
この日は、私の写真サークルの例会の日。夜、外出の予定だったので食事はカレーと決まってました。最初は半分作るつもりでしたが、全量つくりました。
食べ物があってよかったです。
そういえば、電気も停電せず、ガスはプロパンだから大丈夫だし、水道も止まりませんでした。なんと有難いこと…。
もちろん「写真の例会」は勝手に中止! 会員に連絡を取りたくても、この時点ではもう携帯も電話もつながりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1a/c303b7d850c69b7df27506dde4a24951.jpg)
そして寝具の準備。たいした寝具もないウチなので、キャンカー用の布団とシュラフで寝てもらうことにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/73/7fa18934a1a2d8f920f382c62d9792ca.jpg)
小雪は何を勘違いしたか「こゆ、ここでねる」と言ってます。
その夜は、余震も続き寝るに寝られない夜になりました。
その後、連絡のついた義母も無事が確認され、なにはともあれ安心したのはゆうまでもありません。
その後分かったことですが、市民体育館の梁が壊れ、今でも使えません。
小さな川に架かる橋ですが、壊れて通行止めになっています。
ご近所でブロック塀が倒れました。そして一番多かったのが屋根瓦の落下やずれ。
瓦の品不足や職人さん不足で、二ヶ月くらいそのままの家が多かったように思います。
最近になってようやくそのような光景を見ることはなくなりました。
そして我が家。壊れたものはありませんでしたが、あの重いクーラーの室外機、ストーブ用の灯油タンクが五センチくらいずれてました。あらためて、ものすごい力が加わったのだと思いました。
そんなこんなで過ぎた三ヶ月。やっと「緊急地震速報」のアラームも鳴らなくなり、ドキドキすることも少なくなりました。でも、余震は毎日のようにあります(小さな揺れで体感しない時もありますが…)。
あまりにも大きかった地震。想像を超えた被害。自然の猛威に驚かされた出来事でした。
これを教訓に防災に更に努めていきたいと思っています。