旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
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気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

あの戦争は何だったのか

2006年11月23日 20時52分29秒 | Weblog
「あの戦争は何だったのか」大人のための歴史教科書 保阪正康著

天皇は統帥権の当事者であるにもかかわらず、2.26事件以来、軍の決定に直接反対することはなかった。著者は、大本営(陸軍)や軍令部(海軍)という天皇の統帥権をよりどころにした組織の迷走が講和への道を閉ざしたとみている。 開戦にやまれぬ事情があったにしても、アメリカ相手の戦争を1年以上続けることが無謀であることを知る佐官・将官は多かった。陸大出のエリート中のエリートで固められた参謀本部の精神主義者たちは、こういう意見にいっさい耳を傾けなかった。大本営の決定が統帥権によって不可侵とされていたので、軍政を担う陸軍省や海軍省ですらその決定に逆らえなかったのである。ここに日本帝國の悲劇があったでも言いいたそうである。非現実的な統帥権の濫用と現実のギャップがゆえに、「負け方の研究」が疎かにされ、悲惨な戦争を継続せざるを得なかった要因になったと著者は分析する。

「生きて虜囚の辱めを受ける事勿れ」という軍人勅諭の一節が、捕虜になってでも生き延びるという選択肢を奪った。国際的な軍事法規と照らしてどれだけ時代遅れの規定であったか容易に見て取れる。軍の上層部の責任は免れ得ない。 先の戦争が大本営(軍令部)の責任であると確信しているようだが、戦後の経済成長もバブルもその国民的集中力が功を奏したように、是非はともかく、幻の統帥権に盲目的に従った国民の戦時中の「集中力」に戸惑っているように思える。

その前日まで「本土決戦」「一億火の玉」と叫んでいた軍隊や国民は、8月15日の玉音放送によって終戦の聖断(天皇の判断)を聞かされた。玉音放送である。ところが「戦争が終わった日」は翌月の2日の降伏文書への正式調印の日であるというのが世界の常識である。日本の終戦記念日は8月15日とされている。筆者は最終章で、この終戦記念日の日付に大いなる疑問を投げかけている。
大人のための歴史教科書と銘打った割には解り易い文章である。2時間ほどで一気に読みきることができた。戦前の軍隊の組織や教育制度、天皇と軍部との関係、東条英機の人物像にもかなり詳しく言及している。