まま、これは別のブログに乱入して、京大上司対早稲田部下の構図の中で書いた文章の中の一部ですから。
京大卒の上司が何かにつけて教養を振り回すので早稲田卒の部下は困っている。京大上司が垂れる蘊蓄、即ち仕事とは一切関係のない哲学やら歴史に関わる知識がビジネスの役に立つとは到底思えない。にもかかわらず京大上司が教養の涵養を早稲田部下に強要する。果たしてビジネスに教養は必要なのかという質問に答えた文章です。
教養とは何かという定義もなしに、いきなりの断定ですから私らしからぬといえばそうなのかも知れません。ところが最近思うに、儒教を読まずして儒教を頭から否定したり、哲学書を読まずして哲学を忌避する人がなんと多いことか。特によく勉強ができた人に顕著なのですが、「孔子?ありゃ駄目だよ、古すぎる。時代が違うんだよ。」と孔子を読まずに論評する人、「われ思うゆえにわれ在り。」というデカルトの名言を知っていても方法序説すら読んでいない人、こういうのが典型ですね。
知ることとはどういうことなのかを知った人間であれば、こういう知り方はしないであろうという前提があるのです。私の経験でいうと高学校歴の人の中に、通説を漫然と読んで、固有名詞や名言を知っただけで理解した気になる、ある種の権威主義者、勘違い人がいかに多いことか。京大上司にはこの種の悪しき教養主義の匂いがぷんぷんしています。
私の知り合いに教養あふれるビジネスマンがいます。ところが彼氏、一向に売ろうとしない。ありとあらゆる教養や情報を提供して相手が自らの意思で買おうとするように仕向けようとする。残念ながらこういう営業では人は買いません。孔子は禄を得ること(働くこと)と思索することとの間には何の関係もないことを述べています。わたしも単純素朴にそのように考えています。
ひろし氏が京大上司的な悪しき意味の教養人でないことは知っていますのでご安心を。でも投稿を見たら、きっとひろし氏が何か言ってくるだろうなと思っていたら、やはり来ましたねえ。毎度ご愛読ありがとうございます。
京大卒の上司が何かにつけて教養を振り回すので早稲田卒の部下は困っている。京大上司が垂れる蘊蓄、即ち仕事とは一切関係のない哲学やら歴史に関わる知識がビジネスの役に立つとは到底思えない。にもかかわらず京大上司が教養の涵養を早稲田部下に強要する。果たしてビジネスに教養は必要なのかという質問に答えた文章です。
教養とは何かという定義もなしに、いきなりの断定ですから私らしからぬといえばそうなのかも知れません。ところが最近思うに、儒教を読まずして儒教を頭から否定したり、哲学書を読まずして哲学を忌避する人がなんと多いことか。特によく勉強ができた人に顕著なのですが、「孔子?ありゃ駄目だよ、古すぎる。時代が違うんだよ。」と孔子を読まずに論評する人、「われ思うゆえにわれ在り。」というデカルトの名言を知っていても方法序説すら読んでいない人、こういうのが典型ですね。
知ることとはどういうことなのかを知った人間であれば、こういう知り方はしないであろうという前提があるのです。私の経験でいうと高学校歴の人の中に、通説を漫然と読んで、固有名詞や名言を知っただけで理解した気になる、ある種の権威主義者、勘違い人がいかに多いことか。京大上司にはこの種の悪しき教養主義の匂いがぷんぷんしています。
私の知り合いに教養あふれるビジネスマンがいます。ところが彼氏、一向に売ろうとしない。ありとあらゆる教養や情報を提供して相手が自らの意思で買おうとするように仕向けようとする。残念ながらこういう営業では人は買いません。孔子は禄を得ること(働くこと)と思索することとの間には何の関係もないことを述べています。わたしも単純素朴にそのように考えています。
ひろし氏が京大上司的な悪しき意味の教養人でないことは知っていますのでご安心を。でも投稿を見たら、きっとひろし氏が何か言ってくるだろうなと思っていたら、やはり来ましたねえ。毎度ご愛読ありがとうございます。