人間は与えられた世界の産物だ。だから世界を究明しようとすれば、外界にとどまらず世界を知覚する「わたし」も究明の対象にならざるを得ない。ところが、一般的な「わたし」というものは成り立たない。「わたし」には個別の肉体を伴うからである。しかし、1+1は2である。また、移動した距離を所要した時間で割ると速度がでる。感情や感覚の外部で理解できる。こういう作用を理性の作用であると先哲は語る。数学や物理学が典型である。なぜ、個別の「わたし」が数学や物理学の法則を所与の法則として認識できるのか、この迷路に挑んだ哲学が現象学と呼ばれる。