旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

小田実著『日本の知識人』

2011年04月10日 17時06分20秒 | Weblog
私の生き方に揺さぶりをかけてくる著者がいる。ひとりの作家から2度にわたって揺さぶられた。「何でも見てやろう」と「日本の知識人」の著者、小田実もそのうちのひとりだ。

「何でも見てやろう」では、ただ見るだけで見えてくるものがある、感じとることができるものがある。現実を見ないでおいてああだこうだというのは無責任だ。小田は単純な信念に基づいて戦略もなしにアメリカ社会に突進してゆく。彼の行動力と強靭な精神に圧倒された。行動をないがしろにして書や映画の世界から学び理解することにしがみついていた私はこの作品に揺さぶられた。学生時代のことだった。

最近は暇さえあれば本の整理をしている。2、3日前に埃まみれの「日本の知識人」がでてきた。埃を払っても薄汚れたこの本が懐かしかったのでページをめくってみた。たちどころに記憶がよみがえってくる。というよりも、現在に至るまで通称知識人と呼ばれるひとたちに対する私の考え方が小田の影響下にあることを再認識した。

「某省庁の局長氏は新入りの職員に向かって『きみ、必要なのは経験だよ、それに根ざした知識だよ。』とのたまうだろうが、その実現的な知識は専門知識とは違って、たいていの場合、普遍的な広がりをもたない。彼個人一回きりのきりの人生観的な知識なのだ。」とか、「前にも書いたように、彼らは自分の生活に密着した文章、『生活綴り方』的な文章ならすばらしく書く。ところが、一言に言えば、純粋に論理的な文章、抽象的な文章を表現するための文章、つまり、『生活の場』ではなくて『思想の場』の文章、それが書けない。」(ここでいう彼らは学生だが、彼らを社会人と置き換えても同義。)

数10年前「日本の知識人」によって揺さぶりをかけられた。この本を読み終えた段階で「もの知り社会人」や「よく勉強ができる社会人」と決別することができた。ただ、決別してよかったのかどうかについてはいまだに判断がつかない。