大阪の東南、八尾、近鉄久宝寺口 から徒歩5分。いつもお世話になっている未知座小劇場がある。
今回は未知座小劇場スタジオ・シェーマ公演2008「nest」の公演。
ものすごく日常にキュウキュウであったのに、それがつきものがとれたように消えた。
それは芝居が楽しかったからだ。
わたしにとっておもしろいなんてことに関係なく、楽の音が感覚として聞こえるぐらい知的理解認知を捨てさせてくれるのだ。
それがいい。
情報化抑圧を日常現実としてみせるのではなく、それらを虚構として、ジャン・ジュネ「女中たち」、チェーホフ「三人姉妹」を重ね合わせながら、ドストエフスキー「罪と罰」・「カラマーゾフの兄弟」のセリフがでてくる。
これだけ書くと文学の切り取りのオンパレードかと思うがそのテキストを能、手話、英語、ハングルという発話するからだを用いること、いまここあるからた゛としてうめつくしていくのだ。まさに言霊としての世界像がみえてくる。
最近、平気で日常の情報に浮かれていくものに激しい疲れをかんじ、うつ化して、失語するのはそういうことなのかと納得した。
わたしたちは世界を脳でしればしるほど、世界をうそのほんとでしか、とらえられないんだ。
わかりやすくいえば、世界はもっと遠いんだ。