おかあちゃんが洋服屋さんを呼んで
お洋服を作ってもらうときは
いつも「アタシたちの分」も作ってくれた。
おかあちゃんとおんなじ生地で
「デザイン」(っていうんだって)も
おねえちゃんとアタシは「おそろい」
「ぜーんぶおんなじにしてやってね」って
言ってたんだって。
セーター編んでもらうときも
おんなじ模様で頼んでた。
「差をつけちゃいけないから」って。
もしかして…
お洋服だけじゃなかったかも。
何か買ってもらえるときも
なるべくおねえちゃんと同じもの。
アタシはふたつ年下だから
ちょっとは無理が
あったのかもしれないけど。
でも、アタシもそれが
当たり前なんだと思い込んでた。
次の年か、その次の年
あたしもおねえちゃんも、背がのびて
自分の服は着られなくなる。
でも、アタシはおねえちゃんのが
着られるようになるから…
「お古がたくさんあるんよね」って
カンゴフさんたちは笑ってた。
オフルって、はじめは何のことか
わからなかったけど
あんまりいい感じじゃなかった。
でも、そのうちわかったの。
「アタシ、これ着てたおねえちゃんと
おんなじくらい大きくなったんだ」
そう思ったら、お古もそんなに
イヤな感じじゃなくなった(かな?)
「おんなじ」だと
便利なこともあったみたい。
おとうちゃんがお休みの日
フクイまでタクシーで遊びにいったの。
おねえちゃんはおとうちゃんと
アタシはおかあちゃんと
手ぇつないで
デパートの中歩いてたら…
おとうちゃんたちとはぐれちゃった。
おかあちゃんは、さっさと
近くの人に聞いた。
「この子とおんなじ格好した子連れてる
男の人、見ませんでしたか」
「ああ、確かさっきそっちの方へ…」
とかなんとか言ってるうちに
遠くの階段の近くで、おとうちゃんが
手ぇ振ってるのが見えた。
おとうちゃんは笑ってたけど
おねえちゃんは困ったみたいな顔。
どっちが迷子になったのか
わかんなかったけど
おかあちゃんは知らんかお。
「こうゆうときにも役に立つでしょ?」
おそろいの洋服のことだったけど
なんか、おねえちゃんかわいそうだった。
違う格好でいいから
いっしょに歩きたかったんじゃないかなあ。
…なんて、そのときはアタシも
全然気がつかなかった。
「そうかあ、便利なんだ」って
素直に思っただけ。
それでも、ずうっと後になって
高校生の姉と中学生のわたしで
その頃着た「こども服」の話はよくした。
デザインのひとつひとつを
お互いにちゃんと覚えてた。
「あの頃のことで、一番いい思い出って
もしかして、あのときの洋服かもね」
「ほんと、みーんな可愛かったよねえ」
で、意見が一致。
縫ったのは洋服屋さんの人たちでも
生地を選んでデザインを考えたのは
たぶん母自身だったはず。
娘ふたりは、母の目論見通りには
育たなかったかもしれないけれど…
それでも「デザイナー」志望だった母の
一番いい部分を、私たちは
こども時代に味わうことができたんだ…
こうして書きながら
初めてそんなことを思った自分に
今、驚いている。
(「ねねの日記」じゃなくなってゴメンナサイ)
女二人姉妹だったのですね。
二つ違いの。
いい思い出が、たくさんおありでしょうね。
当方は、上に三人の、4番目の四男坊でした。
お下がりは、下がり下がって、4代目でした。
少ない方でした。
でも、いいのも、あんまり良くない?のも含めて
思い出はたくさんあります(^^)
お下がり、四代目っていうのは
タイヘンじゃなかったですか。
(途中で消えるものは消える…のかな?)
でも、兄弟が沢山いる友達に
ちょっと憧れたこと、あります。
親に怒られるときに、こっちが沢山の方が
ラクかなあ…なんて思ったのかも(^^;
みんな同じデザイン
響きが良い
とっても良い
ホッコリしました。
オッソロシイ母親でしたが
オシャレについてはいい思い出がたくさんあります。
(それ以外では怒られた記憶しかないかも(^^;)
みゆきんさんのお母様の優しい面影が
私はいつもちょっと羨ましくて…
あのお父様と、あったかいご家庭だったんだろうなって。
でも「ホッコリしました」と言って下さって
嬉しかったです。
母も喜んでると思います(^^)