「中臣鎌足(なかとみのかまたり・藤原氏の祖)」以降の数百年間、謀略によって次々と敵を倒し、家系の権力を強大なものにしてゆく最後の謀略が「安和の変」であった。それ以降は他氏の排斥は行わず、藤原氏内部の抗争が中心となっていった。そこに至る経過をたどってみたい。また、「承平・天慶の乱」も終結し、世の中の乱れが何となく収まってきた946年、「朱雀天皇(すざくてんのう)」は満22歳の誕生日を目前にして突然、3歳年下の実の弟「成明親王(なりあきらしんのう)」に皇位を譲り、「村上天皇(むらかみてんのう)」として即位。「朱雀天皇」の時代は「富士山の噴火」「大地震」「洪水」などの天変地異が全国で頻繁に起こり、とどめとして「承平・天慶の乱」が起こっている。 . . . 本文を読む