murota 雑記ブログ

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古代、日本と朝鮮半島、言語も文化も同じ時代

2024年05月29日 | 歴史メモ
 古代には、日本人も朝鮮人も区別はなく、言語も文化も全く同じ時代があった。大化改新(乙巳の変)を起こした中大兄皇子は、朝鮮からの使節とは直接会話しているが、中国からの使節とは通訳を介して会話している。当時の日本の上層部は朝鮮語を話していた。(現在でも日本語と朝鮮語は文法が似ている。) 朝鮮の歴史では、3世紀から7世紀までは、高句麗・百済・新羅の三国時代というが、当時は、朝鮮半島と西日本とは同一文化圏であり、倭国を加えて四カ国時代だった。 . . . 本文を読む

「源氏物語」から何が見えてくるのか。

2024年02月23日 | 歴史メモ
 「源氏物語」は歴史上の奇跡ともいうべき文学作品、世界文化史では異例ともいえる早い11世紀初めに誕生した大長編小説だ。世界初の長編小説として世界文学の記念碑的作品でもある。ダンテよりもシェークスピアよりも、セルバンテスよりも早い。紫式部の時代における東アジア世界の常識から見ても驚きの事実。当時の東アジアは中国の文化圏、「小説」という言葉はもともとは中国にあった。しかも小説とは馬鹿にして言った言葉であり、中国、儒教的世界では小説を書くことは犯罪だった。平安時代の日本は一応の律令国家、律令は中国から受け入れた法律体系、公式文書は全て漢文だ。それがカナの発明による国文学の発達途上で書かれた。 . . . 本文を読む

「ローマ人の物語」を振り返って。

2022年03月01日 | 歴史メモ
 イタリアに魅せられ、ローマに在住してイタリアを舞台とした小説を書き続けている小説家、塩野七生さんのライフワークともいうべき大作が「ローマ人の物語」だ。ローマ帝国の誕生から滅亡までの千年間が書き綴られている。塩野さんは、「海の都の物語」『ルネサンスの女たち』『ロードス島攻防記』などの作品群で知られ、現代のイタリア史に関する第一人者として誰もが認めている作家でもある。事実の羅列である歴史書を読むより、生き生きと躍動感のある歴史小説を読む方が面白い。この『ローマ人の物語』も、そうした範疇に分類される文学の一つ。塩野さんは現地に在住し、豊富な資料を集め、壮大なローマ帝国の歴史絵巻を展開してくれる。この作品を読めばローマが歩んできた歴史がどういうものか良く分かる。 . . . 本文を読む

歴史の中に見えた興味深い話

2022年01月11日 | 歴史メモ
 小説家の浅田次郎氏が述べている。明治維新のこと、それまでの日本は先進の軍事力を持たずに鎖国を通そうとする無防備国家だった。無防備ですんだのは産業革命からしばらくは先進国といえども産業レベルでの遠洋航海ができないでいたからだ。それが海軍に遠洋航海の能力ができて、20世紀の初めまでにアフリカのほとんどがヨーロッパ諸国の植民地となると、先進国はその牙を一気にアジアに向けてきた。インドの全部がイギリスの植民地となり、次に最大の目標としたのが当時の清(しん)、現在の中国だった。当時の清から茶や絹、陶磁器を大量に輸入して大幅な輸入超過になったイギリスは、植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出するという三角貿易で国富の流出を防いでいた。アヘンを取り締まろうとした清との間で戦争になるが、近代的な英国軍に清は敗れた。清は一方的に香港島の領有を宣言され、南京条約の締結で香港が英国領となった。その様子を目の当たりにして日本は、いち早く鎖国を解いて統一国家をつくり、欧米列強諸国に追いつこうという意思統一が進んでゆくのが幕末の動乱期だった。最初は外国船を打ち払おうとしたが、当時の薩摩藩や長州藩は、薩英戦争や馬関戦争を経て、とても欧米列強諸国にはかなわないと認識する。明治維新をなしとげた原動力は欧米列強の植民地になってはならないという一点にあった。日本が植民地にされてはならぬ、だから外国人を打ち払えという攘夷運動と、同じ意図による開国運動が交じったところで起こったのが明治維新だったという。 . . . 本文を読む

興味深い日本の南北朝時代。

2020年08月04日 | 歴史メモ
 本郷和人氏(東大史料編纂所教授)と井沢元彦氏(作家、「逆説の日本史」シリーズ等の著者でもある)、この御両人の共著「日本史の定説を疑う」、興味深い内容が書かれている。その中で、14世紀に朝廷が南北に分かれ、再び統一されるまでの南北朝の内乱について二人の見解が語られる。1331年の後醍醐天皇のクーデターともいうべき元弘の乱から鎌倉幕府の滅亡、建武の新政の成立と崩壊、楠木正成や名和長年ら南朝有力武将の相次ぐ戦死を経て、両朝分裂に至る時期も含め、その後も北朝方の足利幕府の内乱に乗じて南朝が京を奪還するなどの争乱が続いた時期について述べられている。実際、足利幕府第三代将軍足利義満によって南北朝の合一が実現するまでこの内乱は60年にわたって続いた。 . . . 本文を読む