5世紀から6世紀の初め頃にかけて、日本では大王(おおきみ・天皇)の跡継ぎ問題や、有力な豪族(大伴氏・物部氏・蘇我氏など)の権力争いなどで国内の政治が乱れる。このため当時大和政権が支配していた朝鮮半島の任那地方(加羅)の支配力が弱まり、任那地方と同じく朝鮮半島にある新羅・高句麗からの侵略が心配されるようになった。 そこで大和政権は朝鮮半島の任那地方へ対新羅の救援軍約6万を派遣するが、この救援軍が当時九州の北半分を統治していた筑紫の国造(くにのみやつこ・大和政権の地方官)磐井氏に進路を妨害され足止めをくらってしまう。これが「磐井の乱」( 527年)と言われるものだ。 . . . 本文を読む