唐が滅亡してからの約50年間の分裂時代、五代十国時代。華北、黄河流域には開封を首都として5つの王朝が交代、後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう)の5つ。それ以外の地域に合計10ほどの独立政権が成立、この時代のほとんどの政権は節度使の自立したものだ。各政権の皇帝や王はみな軍人出身。均田制が崩壊したあとの社会の仕組みに釣り合う政治の仕組みが作り出される過渡期だった。新しい時代の担い手は新興地主層、形勢戸(けいせいこ)といわれる。後漢以来の豪族は南北朝から隋唐まで続き、貴族階級になってゆくが、形勢戸は同じ家がずっと地主として続かなかった。自作農から地主に成長する家もあれば、没落する家もあって同じ家が存続しない。故に形勢戸は貴族階級にはならない。形勢戸とは「成り上がり」という意味だ。また、形勢戸の大土地所有は一円的所有ではない。一円的というのは一つの地域を丸ごと持っていることをいう。豪族は一円的土地所有だから、そこで働く農民は豪族に隷属する。豪族は貴族化していったが、形勢戸はたくさんの土地を持っていても各地に分散していた。各土地は小さい。小作農の立場からすると、何人もの形勢戸から土地を借りていた。一人の形勢戸に隷属する関係にはならない。形勢戸は身分的にも貴族化しなかった。黄巣の乱で南北朝以来の貴族階級が全滅させられて以降、ずっと中国では貴族階級は登場していない。人民は全て同じ身分だった。日本で貴族が無くなったのが第二次世界大戦後、20世紀の出来事だった。中国では10世紀には貴族が消滅している。 . . . 本文を読む
中国は共産党一党独裁、他党の存在は許されていない。国会にあたる全人代(全国人民代表大会)の代表も国民選挙で選ばれていない。国民が代表を直接選挙するのではない。一般国民が直接選挙できるのは県級以下の人民代表のみだ。武力で勝ち取った共産党政権の継続である。中国の長い歴史を見ると、権力者が常に反乱を抑えるのに苦心してきている。今の中国首脳も、反乱をいかに押さえるかで悩んでいる。また、官僚の汚職が今も無くならず続いている。これに対する反乱でもある。そこで、再び中国の歴史を振り返ってみることにした。 . . . 本文を読む