今、泊まっているホテルの一階にある、サヌールのBali Bakeryで書いています。
先日のIikくんの誕生日は、親しくなったホテルの人に送ってもらい、クタのBali Bakeryで買ったケーキを届けに行った。
日はもう暮れていて、彼と甥っ子くんは懐中電灯を手に、翌日の儀式に備えて、観賞用の鶏20羽ほどを庭から少し奥まった池のほとりに移しているところだった。
コケコケッ、ひよこピーピ―と、にぎやかな池の反対側で、奥さんが落ち葉を焚いている。
仕事が終わって、お茶と一緒に出されたのは、夕方彼女が買ってきたという、やっぱりBali Bakeryのケーキだった!
偶然かと思ったら、この街では、一番上等なケーキがあるから、いつもそこに決めているということだった。
何かの時に、ふたりがティラミス好きだと話していたけれど、彼女が行った時は売り切れていて、代わりにブラックフォレストのホールケーキにしていたので、わたしが、違う種類のピースを詰合せた中にティラミスがあることを喜んでくれた。
外のテラスでケーキを囲んでおしゃべりしていると 、思いがけず先日の謎が解け、感動したことがあった。
数日前、車にバイクがぶつかった時、後ろの座席で、Iikくんの上の息子さん(10歳)が、両目からツーっと涙を流していた。
キリッとした表情を見るぶんには、怖いからでもなさそうだし、その時、わたしはどうしてかわからなかった。
隣で、7歳の弟は、キョロキョロ落ち着かなさそうにしているし、親戚のチョコパンくん(チョコレート色の肌に、ぽっちゃり感がパンダに似ている9歳の男の子)は、少し事態が落ち着いてくると、ハプニングが起こったことにわくわくしているようで、どちらも子供らしい反応に思えたのに。
その時のことを、奥さんが、彼は、「家の車を壊したヤツなんか、なぐってしまえばいいのに」と言い、怒っていたのだと説明してくれた。
そうか、大人たちは運転していた人をただ助けていて、自分は車で待つように言われ、何もできず、悔しさともどかしさで涙していたのだ。
わたしは、ずいぶん前に仕舞い込んだものを、目の前に広げて見せられた気がした。
たしかに、大人は、なぐらない。
自分の物への被害より、加害者であってもケガをしていれば、まず彼を助けることを優先する。
社会で助け合って生きていくためには、それで正しいのだと思うけれど、あからさまに、原始的で健やかな怒りを感じていた少年に、
「ああ、男の子だ」
と、思った。
家族を守ろうとし、誇りを高く保ちながら、外で起こっている、大人の調和した世界とに葛藤している。
彼の無表情に流れていた二筋の涙の跡は、さなぎに入ったひびのようなものだ。
そして、それはまた、両親に守られている空間があるから、噛みしめる余裕のある、恵まれたことでもあるんだ。
もし、子供のうちから、精神的、あるいは経済的に、素の感情を感じることが許されない環境だったら、この段階を飛ばして処世術を身に着け、その時は一見大人のように賢く見られるかもしれないが、きっと後から、それは埋め合わせの必要なひずみとなって現れる。
幸い、彼は車の中で、時間は短くても母親に気持ちを聴いてもらい、涙をそのまま流せていた。
Iikくんの誕生日、彼の子供も、そういう痛みをちゃんと味わい、内と外のつながりを探りながら、育っている。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/