手分けして子の宿題を片付ける
たぶん、このブログで書いたことがあると思うが、私の詠んだ川柳をデータベース化している。
すでに○千句となっており、去年までの分を分類しているのである。
詠んだ句はすぐにパソコンに打ち込んでいるので、ただ、分類するだけである。
詠んだときの題で分類すると、分類項目が膨大となってしまう。
また、言葉で分類すると、内容の異なるものまで一緒になってしまう。
例えば、ある川柳辞典によると、絵本は「教育」にはいり、絵は「芸術」となっている。
しかしながら、絵空事のような言葉が出てくると、そのどちらでもないということになってしまう。
おかげで、1日が忙しくて、あっという間にすぎてしまう。
すでに○千句となっており、去年までの分を分類しているのである。
詠んだ句はすぐにパソコンに打ち込んでいるので、ただ、分類するだけである。
詠んだときの題で分類すると、分類項目が膨大となってしまう。
また、言葉で分類すると、内容の異なるものまで一緒になってしまう。
例えば、ある川柳辞典によると、絵本は「教育」にはいり、絵は「芸術」となっている。
しかしながら、絵空事のような言葉が出てくると、そのどちらでもないということになってしまう。
おかげで、1日が忙しくて、あっという間にすぎてしまう。
昨夜、かぼちゃを煮ていたら、風呂が沸いた。
かぼちゃを煮ているなべを見たら、まだ水が十分あったので、「まだ水があるから、風呂へ入るけれど、見に来なくていいから・・・」といって風呂へ入った。
出てきたら、ガスは止まっており、ふたをあけたら水がなくなり、焦げ付く寸前だった。
ナベの底からはがすために少しかき回したら、まるでキントンのようになってしまった。
しかし、もう文句を言う人もいない。文句を言っていたのは私だから。
かぼちゃを煮ているなべを見たら、まだ水が十分あったので、「まだ水があるから、風呂へ入るけれど、見に来なくていいから・・・」といって風呂へ入った。
出てきたら、ガスは止まっており、ふたをあけたら水がなくなり、焦げ付く寸前だった。
ナベの底からはがすために少しかき回したら、まるでキントンのようになってしまった。
しかし、もう文句を言う人もいない。文句を言っていたのは私だから。