YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ステーキ・ハウスの仕事の話(その2)~シドニー滞在

2022-04-04 09:07:15 | 「YOSHIの果てしない旅」 第11章 オーストラリアの旅
・ステーキ・ハウスの仕事の話(その2)
○4月27日(日)~私はシドニーのジョージストリートにある、ステーキ・ハウスで週一の日曜日だけの仕事を見付け、今日は3回目の仕事日であった。
この日の終了時に、「5月4日の日曜日は11時45分に来てくれ。」とボスに言われた。仕事の時間が向こうの都合で変わる様になって来た。

○5月4日(日)~今日は11時45分から午後2時頃まで仕事をし、それから一旦帰宅した。シャワーを浴びて時間を見計らって、再び夕方5時からステーキ・ハウスへ出掛けた。
 仕事が終り、私はボスに「話があります。」と言って、私とボスは店のテーブルを挟んで席についた。
「日曜日はホリデーで働く者の休みの日なのです。しかし、私はホリデーに働いているのです。その割に私の賃金は安すぎる。ホリデーを加味した割増金が欲しい。それに労働時間が一定していないので、一定にして貰いたい。」と、私はボスに直談判した。『どう考えても当然の要求である。』と私は思っていた。
ボスは私の要求を納得してくれた。その結果、労働時間は12時~14時30分までと17時~21時45分まで、日当は3ドルアップ(9ドルが12ドル)になった。私はそれで納得した。
「最初に会った時より、君は英語が上手いね。」とボスに褒められてしまった。ボスと話をしていると、ロシア人であるのにどうも彼の出身は、満州のハルピンらしかった。実は、彼が私に何人かと尋ねたので、ふざけて、「モンゴル人」と言った。すると彼は、「ハルピンを知っているか」と言うので、「知っている」と答えた。そうしたら彼は昔のハルピンの事を話し出した。
 今日は9ドル受け取り帰った。来週5月11日からは労働時間が一定し、3ドル上がって12ドルとなるのであった。正当な要求であったら、はっきりと主張する事が大事であると感じた。
 あれ以来、ドイツ人の意地悪なコックは何も言わなくなった。週一であるが、栄養とスタミナは、このレストランで摂っていた。そして、ビールやワインも飲めるので、まあまあの職場であった。ウェイトレスのかわいい子もいたがお互い仕事中、しかも離れていたし仕事が終ると皆忙しく帰るので、話す機会さえなかった。

○5月11日から6月1日まで~週一日曜日の仕事の話は省略。
○6月8日(日)~今日は、この店での最後の仕事になった。そしていつもと変わりなく終った。
 私の後釜に杉本さん(仮称、以後敬称省略)がする事になった。彼をボスに紹介し了解を得て、見習という形で何時間か彼に仕事の仕方を教えた。
杉本が後釜になった経緯は、岡本(シドニー滞在仲間)と知り合ったらしく、岡本から私の仕事が今日で終りと聞いて、「後を引き継ぎたい」と言って来たからでした。
 杉本は、川崎のトヨタ自動車に勤務している人でした。1ヶ月間の休みを取ってオーストラリアに来たのであるが、もっと当地に滞在したいらしく金銭的な理由で、私の後釜になったのだ。しかし、『彼の会社の方は大丈夫なのか、首にならないのであろうか。』、と心配したが、私が案じる事ではなかった。でもなぜ私が案じたのかと言うのは、私の場合半年間の旅行の為の休職願を会社に申し出たのでしたが許可されず、退職して日本を出国して来たからであった