YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

名古屋、東京見物~日本の旅

2022-04-26 13:38:44 | 「YOSHIの果てしない旅」 第12章 船旅
△熱田神社前にて~左からエバンス、私、タン、メアリー、ベンドレィそしてフレッド

・昭和44年7月5日(土)小雨後曇り(名古屋、東京見物)
 16日間航海したチルワ号ともこれで永遠の別れとなり、私は昨日、鳥羽へ行った〝乗船仲間6人〟(オーストラリア人のMrs. Elaine Evansエバンス夫人、Mr. Done Bendleyベンドレィ氏、アメリカ人のメアリー、中国系香港人のフレッド、中国系マレーシア人のタンとフィリップ)と共に名古屋へ行った。
私の案内で名古屋城や熱田神社を見物後、新幹線ひかりで東京に来た。日本の新幹線は彼等にとってその速さ、鉄道技術の高さ、施設にビックリするやら、感心するやらの新幹線の旅であった。曇りの為、富士山を見る事が出来ず、彼等は本当に残念がっていた。
 東京駅観光案内所で今夜のホテルを予約しようと思ったら今日、明日と世界ライオンズ・クラブ東京大会が行なわれる為、何処のホテル・旅館もいっぱいであった。それを彼等に説明したら困り果てた様子であった。私は所員にこちらの事情を説明し、もう一度何処か宿泊出来るホテル等がないか、探してくれる様に頼んだ。暫らく待ってその所員は、「良い旅館ではないが、それで宜しければ。」と言う条件を提示され、仲間の了解を得て予約した。
 宿泊場所は、浅草の隅田川沿いの3流旅館であった。部屋の障子を開けたら直下が隅田川、そのヘドロの臭い(「春のうららの隅田川」の歌い出しでお馴染みの歌『花』の川ではなく、ドブ川、ヘドロの川で悪臭が満ちていた)が強烈に鼻に衝いてきた。蒸し暑いからと言っても2度と障子を開ける事が出来なかった。日本の首都・東京の川がこんなにも悪臭を漂わせている現状に、私は恥ずかしさを感じた。しかし、他に何処も空いていなかったし、彼等にとっても安い方が良いので、文句は無かった。旅館なので部屋スタイルは和式、男同士の5人、女同士の2人で2部屋に別れての宿泊となった。
女将は日本語の分る私が居て、助かった顔をしていた。彼女は愛想よく我々を迎え、接待してくれた。
 夕方、浅草寺(せんそうじ)や浅草(あさくさ)界隈を散策した後、旅館に戻り和食スタイルの夕食(刺身、天ぷら、豚カツ等)が出された。彼等は箸を使って、「美味しい、美味しい。」と言って食事を楽しんでくれた。勿論、私も久し振りの日本食で、大変美味しかった。  
 夕食後、彼等を銀座へ案内した。私は1年振りの日本であり東京である所為か、その全ての面で日本が外国の様に珍しく、彼等と共に異国情緒を楽しんでいた。私はまるで日本人によく似た外国人感覚であった。従って私の日本の印象は、多分彼等の印象と同じ感じであったかもしれません。
 最後に、銀座のあるパブリック・ラウンジ(洋酒等がキャバレーやバーより安く飲める所)へ寄ったら、他の乗船仲間達が居た。まだ1日か2日経ったばかりなのに、皆は再会を喜び合っていた。
若いバーテンダーが日本人である私を認めてか、「お客さん、外国帰りですか。」と話し掛けて来た。  
「そうですよ。昨日、オーストラリアから着いたばかりです。」
「何処を回って来られたのですか。」と彼は聞くので、ざっと回った所を言った。
「凄いー!お客さん。僕も行って見たいなぁ。実は、外国へ行く事を僕も考えていたのです。」
「行って下さいよ。考えた時が、そのチャンスの時だから。」
「ありがとう、お客さん。その意見を聞いて僕は決めました。」
「成功を祈るよ。」とそのバーテンダーに言った。
 我々は暫らくそこで飲んでから旅館へ戻った。彼等は東京の夜を心から楽しんだ様なので、私も満足であった。昨日から今日に掛けて、私はずっと彼等と一緒だった。彼等と日本人の接点は私であって、その通訳の役目は100%ではなかったが、彼等も納得して私に大変感謝していた。彼等の為の案内や通訳は、私も面白かったし又、彼等と共に居ると、まだ旅が続いている様で楽しかった。