夏だろうと冬だろうと、七咲ファミリーが泡を食って右往左往している中、
一人(鉢)泰然自若なクリプス。
あまりにも「泰然」としすぎていて、その存在を七咲に忘れられがちなクリプス。
いや、さすがに潅水を忘れたりはしませんが、
唯一のコミュニケーションである潅水時でさえも、「自若」がすぎて、クリプス本人ばかりか
七咲でさせも心を動じさせないクリプス。
そこがイイ、といえばいいけれど、居なくても気がつかないといえば気がつかないような…(汗)
そうなんです。
七咲ファミリーの水やりの時には、大概、あれこれ(脳内で)話しかけて、
容姿に気を配って、体調を気にかけて、と交流するものなんですが、クリプスに限っては
全く心が動きません。
別に可愛くないとは言わないし、決して「いなくてもいい」とは思わないけれども。
なんだろうなあ、この空気のような存在感。長年連れ添った証なのかなあ。
(といえるほど連れ添った実績もないが)
そんなクリプスと、何とか交流しようと眺めていて
(というか、夏のレクイエムで折れた心を何とかしてくれないかなクリプス。と他力本願丸出しで)
上から横から斜めから、眺めまくっているのに、
何ひとつ心が動かないぜクリプス!!
と、別の意味で動揺したので、ちょっとベランダに出してみたクリプス。
そのまましばらく見守っていたものの、やっぱり何一つ思う事がなかったので
どうしてこんなにもクリプスには無で居られるのか、という事を考えてみる。
(それ現実逃避!)
思うに。
クリプスは個ではなく集団である。
個に対しては可なり不可なり、個としての感想を抱けるものの
集団に対して、あれこれと、とやかく口出ししようとは思わないんじゃないかな。
たとえば。
一人の芸能人については何かしら情報を得られ、それなりに感じることはあるものの
「芸能人」というくくりで、何かを考えることって、そうそうないじゃないか。
あ、小学生、でもいい。
近所の誰々はやんちゃだねえ、とか、礼儀正しいねえ、とか思っていても
小学校の校庭に集っている小学生の塊を見て、それに対して感情的になることはない。
せいぜい、「ああ体育の時間かな」程度じゃないだろうか。
そういうことなんじゃないかな!!
と、思ったので、クリプス戦隊を戦隊物としてひとくくりにするのではなく
単体のヒーローものとして個々にばらしてみよう。もう鉢も窮屈そうだし。
(もう鉢も窮屈そうだし←こっちのほうが大問題じゃないのか?)
と試みる。
…試みて、愕然とする七咲。
ぬ、抜けねえーっ!!クリプスが抜けねえよ!
って、なんでだよ!
売り場に居た時は、あんなにもコロコロ転がって鉢から脱走しては
あたふたする七咲を陰から覗き見て、優越感を味わっていたんじゃないのか!(←被害妄想)
七咲家に定住してからも水やりのたびに土から浮いて鉢から落ちては
七咲の同情を鼻で笑って、「自由気ままな風来坊」を気取っていたじゃないか!(←以下同文)
なんてこった。
クリプスは個にあらず。
これがいわゆる、一にして多、多にして一、というあれだろうか…。
(若き日に、「子供が産まれたら『一多』って名前つけるんだ~」とかほざいていた記憶が蘇る)
個にあらず、と言われて(いや、言ったのは七咲ですけども)引き下がるわけにはいくまい!
全ては、クリプスの脱!泰然自若計画の為に!
というわけで、一番若くて抜けそうな子を土から抜いてみました。
そして、宇宙の木がいた鉢に植えてみる。
オリヅルランみたい…
と、やや、うろたえる。
(あれ?!うろたえる、って漢字ないの?変換できませんよ?いや、書けって云われても書けませんが?)
宇宙の木が去った空洞を埋めあわせるために引っこ抜かれた「クリプス(個)」だから
なお申し訳なく思うのか否か。
いやいやいや、これでクリプス(個)の成長が日々手に取るようにわかって愛着もわけば、
一にして多、多にして一、を退ける、「newクリプス」が七咲ファミリーに誕生するわけですよ!
というわけで、このチビにはとても期待しているのですが。
命名「一多」とするも、つい「ツルちゃん」と呼んでしまいそうな程、オリヅルランなクリプスでした。