読み始めたら ざわざわと 心がおちつかず 終わりまでと 昨夜頑張ったけれど
終わらず 認知予防のためきりの悪いところで 止め 今日続きを午前中で読み終えました。
乳幼児の虐待死事件と家族であることの光と闇に迫る心理サスペンスということですが
我が家も今年 娘の里帰り出産で 新しい孫が生まれ それに伴う古い孫の赤ちゃん返りに翻弄されたり
授乳が順調にいかず赤ん坊の体重が増えなかったり こちらもミルクにしたら?と余計なことを言ってしまったり
小説に出てきたような家族のいざこざをおなじように 経験していたようで 考え方によってはそうなるかと
ひとのこころの怖ろしさを感じたりして ざわざわ苦しくなりつつ読みました。
登場人物はこういう人周りにもいるかもと思える人ばかりで ひとって こちらの対応次第で
いろいろ変わっていくような気もするのだけれど 固まって変わらないひともいるし
考えると面倒くさいから・・・自分の場合はつい流れに流れているのかも・・・。
新しい孫は
6か月になり はいはいから お座りするようになり
テーブルもかじれるようになったそうで おったまげ~です。
生きていればおったまげ~のことばかりで
ひとのこころの中などあまり考えないほうがいいのかも ひとのこころはひとのものだし。
終わらず 認知予防のためきりの悪いところで 止め 今日続きを午前中で読み終えました。
乳幼児の虐待死事件と家族であることの光と闇に迫る心理サスペンスということですが
我が家も今年 娘の里帰り出産で 新しい孫が生まれ それに伴う古い孫の赤ちゃん返りに翻弄されたり
授乳が順調にいかず赤ん坊の体重が増えなかったり こちらもミルクにしたら?と余計なことを言ってしまったり
小説に出てきたような家族のいざこざをおなじように 経験していたようで 考え方によってはそうなるかと
ひとのこころの怖ろしさを感じたりして ざわざわ苦しくなりつつ読みました。
登場人物はこういう人周りにもいるかもと思える人ばかりで ひとって こちらの対応次第で
いろいろ変わっていくような気もするのだけれど 固まって変わらないひともいるし
考えると面倒くさいから・・・自分の場合はつい流れに流れているのかも・・・。
新しい孫は
6か月になり はいはいから お座りするようになり
テーブルもかじれるようになったそうで おったまげ~です。
生きていればおったまげ~のことばかりで
ひとのこころの中などあまり考えないほうがいいのかも ひとのこころはひとのものだし。
面白いのですが 一族の話なので なかなか進みません
今ではぼうーっとしているとしか見えない ばあさんの
まだ誰のかあさんでもばあさんでもなかった若いときの満州での生活というものが
とても生き生きと 感じられて
まだ読み途中ですが 自分の若いときも 振り返りながら
若いときって 老人になって思えば 良いときだったのだなあと。
しばらく前からローソンのヨーグルトマシュマロにはまっていましたが
マツコの知らない世界で 濃厚ひとくちソースカツというのを見たなと
昨日ローソンで思い出したので 買いました ついでに こんにゃくチップスも
ソースカツ オタフクソースが本当にあとをひきます。
ツリーハウス 夕ご飯の後 止まらなくなり 読み終えました
女装して兵役から何から逃げたというじいさん キーワードに逃げるということばがあり
ふっと案外誰にでも何かから逃げたということはあるのでは?と思ったり
三代に渡る年代記で 途中 これは誰だっけ と名前がこんがらがりましたが
面白かったです。
私がやってきたことがどんなに馬鹿げたことでも、それ以外はなんにもない、無、だよ、
後悔なんてするだけ損。それしかなかったんだから。
ばあさんのことばです。
今ではぼうーっとしているとしか見えない ばあさんの
まだ誰のかあさんでもばあさんでもなかった若いときの満州での生活というものが
とても生き生きと 感じられて
まだ読み途中ですが 自分の若いときも 振り返りながら
若いときって 老人になって思えば 良いときだったのだなあと。
しばらく前からローソンのヨーグルトマシュマロにはまっていましたが
マツコの知らない世界で 濃厚ひとくちソースカツというのを見たなと
昨日ローソンで思い出したので 買いました ついでに こんにゃくチップスも
ソースカツ オタフクソースが本当にあとをひきます。
ツリーハウス 夕ご飯の後 止まらなくなり 読み終えました
女装して兵役から何から逃げたというじいさん キーワードに逃げるということばがあり
ふっと案外誰にでも何かから逃げたということはあるのでは?と思ったり
三代に渡る年代記で 途中 これは誰だっけ と名前がこんがらがりましたが
面白かったです。
私がやってきたことがどんなに馬鹿げたことでも、それ以外はなんにもない、無、だよ、
後悔なんてするだけ損。それしかなかったんだから。
ばあさんのことばです。
世界カジノ巡りヨーロッパ編だそうで
写真がいっぱいで 綺麗で
カジノには興味はないものの 一緒にめぐって歩いたような気分になりました。
日本のカジノは 外国のひとからはパチンコとみられているのだそうです。
いろいろな話題に飛ぶので カジノに興味がなくても面白い本でした。
孫ときれいなお姉さんとの写真がきて 聞いたら 家族連れでも行けるカフェだそうです
孫は典型的な男の子で 綺麗な派手なお姉さんは大好きで
母親に お姉さんのような髪形にしたほうがいいと言ったそうです
髪形と言えばもうひとりの孫の髪形は 相変わらずたなびいています。
昨夜はあれよあれよという間に勝ってしまって(ファイターズ)
夫は自分が見ると負けるというオソレから 一日遅れで見たりして なんだべーという感じですが。
秋をけりけり図書館に行き
帰り イオンスーパーをのぞきました
本屋さんで いろいろ迷って を買い 他のコーナーで とを買いました。
今まで家計簿なんて買ったことはなく こどもの置いていった手帳につけていただけなのですが
もう高齢者になり 少し 丁寧に 生活しようと一番安いというものを買ってみました。
庭も 少し考えて作ろうと。
料理も 少し考えて 作ったほうがいいのだろうと。
イオンはゴーゴーファイターズの歌が流れ セールでしたが
図書館から借りた本に買った本が重くて 帰りバスを降りてから歩くことを考えると
セールはパスしていいかっと 帰ってきました。
孫の写真はいつも水平飛行状態で
今回も 兄の後ろに 背後霊のようで おかしいです。
と言ってる間に
なんとハイハイするようになっていて
背後霊は ハイハイしてくっついてから やっているそうです 5か月になりました。
帰り イオンスーパーをのぞきました
本屋さんで いろいろ迷って を買い 他のコーナーで とを買いました。
今まで家計簿なんて買ったことはなく こどもの置いていった手帳につけていただけなのですが
もう高齢者になり 少し 丁寧に 生活しようと一番安いというものを買ってみました。
庭も 少し考えて作ろうと。
料理も 少し考えて 作ったほうがいいのだろうと。
イオンはゴーゴーファイターズの歌が流れ セールでしたが
図書館から借りた本に買った本が重くて 帰りバスを降りてから歩くことを考えると
セールはパスしていいかっと 帰ってきました。
孫の写真はいつも水平飛行状態で
今回も 兄の後ろに 背後霊のようで おかしいです。
と言ってる間に
なんとハイハイするようになっていて
背後霊は ハイハイしてくっついてから やっているそうです 5か月になりました。
十三夜の説明に十三夜は必ず満月になるとあって
写真をとってみて とても満月には見えなかったので
満月ってこうだったっけ?
と 少し疑いがありました
昨日見た天気予報で 今日が本当の満月と言っていて
なあんだやっぱり 十五夜かと ひとり納得でした。
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3 で春樹さんが
木山捷平 秋 という詩を紹介していました
新しい下駄を買ったからと
ひょっこり友達が訪ねて来た。
私は丁度ひげを剃り終へたところであった。
二人は郊外へ
秋をけりけり歩いて行った。
今日は行楽日和です
どこかへ 秋をけりけり 行くにはもってこいの日です。
写真をとってみて とても満月には見えなかったので
満月ってこうだったっけ?
と 少し疑いがありました
昨日見た天気予報で 今日が本当の満月と言っていて
なあんだやっぱり 十五夜かと ひとり納得でした。
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3 で春樹さんが
木山捷平 秋 という詩を紹介していました
新しい下駄を買ったからと
ひょっこり友達が訪ねて来た。
私は丁度ひげを剃り終へたところであった。
二人は郊外へ
秋をけりけり歩いて行った。
今日は行楽日和です
どこかへ 秋をけりけり 行くにはもってこいの日です。
堀文子って知ってる?
あのひとに憧れて イタリアに旅行したの チェチリアーノっていう何でもない村を訪ねて
そこで食べた その村の○○○が素朴でおいしくて・・・
先日会った昔の職場の友の話です
水彩画を何十年と習ったというのに家には自分の絵は飾らず 個展を見て買ったという先生の絵ばかり
焼ものもやった ピアノも習った でも わたしは 表現するひとじゃなく 見るひとだということがわかった
とのこと
図書館に行ったついでに 画文集を借りました
以前 その文章の男前なことに感心し わたしもひそかに憧れを抱いたことはありましたが
いつもどきどきするような状態でいたいと思う。
現状を維持していれば無事平穏だが、新鮮な感動からは見捨てられるだけである。
築き上げたものをこわすのは惜しいものだ。お金も物も人とのつきあいさえも捨てることになるのだから。
でもそれが次の世界への下敷きとなり失った無駄が心の肥やしになるのだと思う。
古い水を捨てなければ新しい水は汲めないではないか。