仙台の姉と電話でむかしばなしをして 母親の主治医のセンセイの話しになった(仙台市立病院45年前)
(わたしはひとり身だったので仕事を休んで父と交代で母に付き添っていた)
死にそうな患者にクリスマスにプレゼントを配って回ったり優しくて今でも覚えている と言ったら
すごく優しいセンセイだったから~ と姉(二人目のこどもを産んだばかりだった)も言う
もうこの世にいないのかな? と聞いたら
あのセンセイあの頃若かったんだよとのことで
東北大学教授を停年でやめてから
宮城県のこども病院の初代院長を経て ガン等の画像診断センターの名誉院長とか
こども病院の創設ではすごく大変だったらしいけどあのセンセイのお陰でできたんだよねと姉の話し
ネットで見たら いろいろな役職で埋もれそう でも 軽やかに楽しんでやっておられそう
そんな凄いセンセイに戴いた(母の形見になった)貯金箱 今もわたしの机の上にいます。
昔も思った