怪獣ベビーと歩む道

「すくすく育って」の思いを真ん中に、
日々のニュース、美味しいもの、旅行、映画など心にうつるヨシナシ事を

父の思い出

2022-11-20 15:09:08 | society
時差投稿
父が他界して1か月。
若干ファザコンぎみだった私ですが、喪失感があまりないのは薄情だからか?
人間として尊敬する父ですが、死の前後もまた常に尊敬すべき姿でした。
訪問看護や在宅診療のスタッフには、都度「ありがとう」と言い、見舞う家族にも必ず「ありがとう」と。
そして、トイレに自ら向かい、食事にはダイニングまで起きてきて、あの身体の状態からしたら、本当に頑張って日常を保っていたのだと思います。
辛い、痛いを、ほとんど言わず、辛抱強い。戦争を体験しているからかな、と、以前、満州からの引き上げ時、りんご一個で家族全員食いしのいだ話を思い出します。
最後まで管をつけずに過ごせたのは、残された家族の心情としても救われます。
そして、最後の最期は、ツバが飲み込めず苦しそうだった父を抱え、コップにツバを出せて眠れた…良かった…と思ったところで永眠。私の腕の中で、母にも見守られ、というのは、最後まで子ども孝行なお別れの姿でした。

そして特筆すべきは、お骨の量!一番大きな骨壺に入りきらない!
体格も大きかったけど、最後まで骨太な父でした。
小学生の頃の夏休み、海水浴で私を抱っこして、沖の方まで泳いで連れて行ってくれた時の背中の大きさを思い出します。その後、私は全身日焼けでひーひー言っていたのですが、私以上に真っ赤になった背中をなんてことないよと平然としていたので、さらに尊敬の念が5割増しになりました(え?そこ?)。

お酒が大好きで、テニスやコーラスと多趣味で、弓道部の仲間もいて、人徳者だったと思います。
「黒部の太陽」を観ても、裕次郎と重ねてしまうあたりは、やっぱりファザコンの贔屓目かな。

困った時にかけてくれる声かけが、また常に絶妙で。
私が小4の頃算数がわからず「答え出たけどなんかこの答え違う気がする…」というと「その『違う気がする』という感覚は大事だよ」とか、
長女の小受で伸び悩んだ時は「元気の試験なら一等賞なのになぁ」とか。
元祖『自己肯定感』育む教育。
お父さんの娘で、私は本当に幸せでした

今は、諸々手続きをしています。
戸籍を追ってファミリーツリーに想いを馳せたり、生命保険の書類を書きながら加入時の父の気持ちを想像したり。

このテキスト、多分今はアップしないで下書き保存しておくと思います。
少し経って落ち着いた頃に公開するかも。
時々書き足し、更新しながら、父への感謝を綴りたいと思います

と、綴ったのが2ヶ月前。
時は経ち、心のふわふわした感じも減り、確実に時は進み。
でも存命していた時よりも、父を身近に感じます。見守られてる感とか、ふとした時に思い出すキッカケが多い感。

と、綴ったのが1ヶ月前。あっという間に4ヶ月が経ちました。もともと気持ちは落ち着いているので、特に心境は変わらず。
喪中ハガキも出しましたので、そろそろアップしようかな。

これまでお墓まいりにいったのは一度きり。実家に行ってもお仏壇に手を合わせるのを忘れる日も。やっぱり薄情か。
でも先日読んだある言葉が印象的でした。
「ご先祖さまへの、最大の供養は、子孫であるあなたが幸せに生きること」
うん、ごもっとも!特に父は、そんな考え方をする人なんじゃないかな、と思います(自己中)。
だから私は、お父さんにいただいたバトンを後世につなげるべく、幸せに生きたいと思います。真面目に生きてきたお父さんに恥ずかしくないように、生きて行きたいと思います。

孫が一緒にお酒を飲める歳になるまで、あと少しだったのが悔やまれますが、その分私がたくさん飲むからね!
でも最後に、お父さんとシーガーディアンで、山崎12年、一緒に飲みたかったなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする