『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断》 安倍ちゃんとの和香礼〜 「国葬」 を振り返る

2022-11-01 02:01:35 | R.I.P 「敬弔」

 

__ 「国葬」をめぐっては、国民が揺れたと思います。

功罪相半ばする政治家という巨きな職業をつとめられた御方にあっては、民主主義の国では当然のことなのでしょう。

折々に綴った思いを置いておきます。

 

 

〜安倍ちゃんの「国葬」を振返る〜

 

 

🔴 老獪さの見本

ABちゃんの公的な葬儀を明日にひかえて……

今回は「見事なまでにしてやられた」感に浸らなければならないとは……

ABちゃん済みません、充分な準備してやれなくて、慌ただしく御送りすることをお詫びいたします。

もうそんな厳粛な心持ちになれない。

 

今回の「国葬儀」については、ヒロユキがその深謀説を披露していたが、そのとおりだと思わないわけにはいかない。

・あの事件が突発して、いちはやく「国葬」を営むことを決断し、即座に発表した。(閣議決定のみで強行した)

ただし、葬礼までに約3カ月の猶予をあけた

 

このあとにキッシーがしたのは、メディアを一切無視して既成事実化をこころみる。

3カ月空けたのがミソですよね。

「時間は一番の妙薬」を、こんな形でつかうとは驚きでしかない。

一週間、一カ月と日が経つにつれて、国民の熱狂も冷めてくる。彼は、某宗教団体に矛先を向けさせ、AB派の勢いを削ぎにかかる。

J党との深い因縁をリークし、その団体との分離をはかる(K党の働きかけもあったか?)

 

連日、ABちゃんの露出よりも、某団体の露出を増やしてゆき、言葉巧みにABちゃんを貶めてゆく番組構成を繰り返す。

2カ月も経つころには、ABちゃんのご最後の悲壮感など跡形もなく霧散して、国民の怒りを国葬の費用に向けさせる。(野党はここぞとばかりに最大限に頑張る)

 

綿密に練られた葬礼日であったわけである。

たまたま不測の事態で英国女王葬🇬🇧が挿入されたが、そうでなくとも国連総会🇺🇳のすぐ後に、日にちを設定したのは悪魔的な配慮である。

重大な外交事例が三つも重なれば、さすがに亡くなった直後は1700通にも及ぶ弔意といえども、それぞれの国家の内政を考えれば、そうそう国外に出歩くわけにもゆかない。

だんだん参加国が少なくなって、迎える日本も面倒くさい567政策を国賓にも求めてゆくことになる。

 

キッシーの国葬とした理由説明もあいまいで(故意であろう)、費用の説明もいかにも反感を買うように買うように誘導しているようだ。

結果、誰よりもはやくABちゃんの国葬にGOサインを出した、同期の盟友(表向きだけ?)のキッシーは、支持基盤である保守層の支持を失うことなく立ち振舞って、国民の衷心からなる弔意を縮小させることに意を尽くした。

 

日本には、中露の外交官のような老獪な政治家がおらず(かろうじて2Fさんくらいか)、真に憂えていたものだが……

ここに計らずも、こちらの熱誠を踏みにじる形ではあるが、傑出した老獪さを見せる政治家が出現した。

派手で目立ちたがりH島人のなかで、割と真面目なビジネスマン風で、地道にひとの話を傾聴するキャラでありながら……

2Fさんを黙らせてソーリになった手腕や、この度の、広雪の見方を肯定すれば、周到に準備され緻密に詰めていった「国葬儀」の運び方を眺めるに……

これは、ダークホースだが、とんでもない老獪なやり方だと正直舌を巻かざるを得ない。見事なものだ。

ほんと、「時間は(恋の)妙薬」ですね。熱を冷ますのにこんないいものはない。

 

本当の【老獪さ】とは、かくの如きものだ。張本人は、決して矢面に立つことなく、自在に舞台を回す。

ABちゃんも、「なかやかやりおる ♪」と苦笑いなさっているかな。

 

 

 🔴情緒あるお悔やみ

ABちゃんの尊厳を踏みにじることに躍起な連中に振り回されて(国の恩人に何たる無礼)……

厳粛な心持ちで国葬に臨めないでいた私の心の襞を、やさしく湿(うる)おしてくださったのは、スガさんの訥々と語る一節でした。

 

あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、

高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、

いまだに許せないものを覚えます。

 

…… なんでもないコトバの連なりが胸を打ちます。

芭蕉の俳句や連歌のように、たんたんと大自然の眼にうつる気象を描写した前半、無常にひきさかれる心象を綴った後半……

ABちゃんが唱えた「美しい日本」その風景がここにあります

いまの世に、さりげなく日本的情緒をまとって、真心から発された弔いの言葉が、日本全国に届けられて良かったです。

「情緒ってなに?」と訊かれたときに 、

「スガさんの弔辞を聞いてごらん」といえる 、

日本的情緒の亀鑑とするに足る文章でした。

 

日本人の話し振りって、こんなに優しく響くんだなと久しぶりに縁側に腰かけて空を眺めてる気分になった。

スガさん、素養があるな

かたくるしい教養・学殖というほどでなく、日常に身についた風雅のたしなみが、こちらの琴線をかき撫でる。

 

百戦錬磨の静かなる闘将スガさんが、「無情にも」と情を吐露するところが、日本人なのである。

維新の功労者・西郷さんは、「情」の人だと云われる。大久保の「知」でも、木戸の「柔」でも、山県の「剛」でもまとまらないのが……

西郷の、ひたすらまっすぐな「情」で一つにまとまった。(勿論、致命的な弊害はあったが)

それが日本人なのかと思う、理念ではないのだ、それを体現した「人」についてゆく処がある。

その人物が矛盾を内包していることには寛容である。人間というもののサガをわかっているのだろう。

 

それゆえ、「バランスを取る」では人生の指針にならないのだ。老子がとてつもない大賢であるのは私でも分かるし、見事な身の処し方に感服もする。

しかし、大局観だの俯瞰だのは、その場に臨んでの指針とはならない。だから、日本人は劣っていても孔子を手本としたのであろう。

孔子も、バランス(中庸)を唱えたが、それを第一義とはしなかった。あくまでも「忠恕」なのである。

 

スガさんのお言葉をとおして、ありし日のABちゃんを温かく偲び、この記念すべき日に一献かたむけた。

居酒屋🏮でのABちゃん、ちょっと赤くなっておしゃべりだったなあ、飾らぬ庶民の晩酌であった。

いちどご一緒したかったものだ〜🍶〜 謹んで献盃。

 

 

 

 🔴「訂正願います」

先に投稿した「情緒あるお悔やみ」の文中……

スガさんの弔辞の引用文に誤りがありましたので、お詫びして訂正いたします。大変失礼いたしました。

正しくは下記のとおりです。

 

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝🌞は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミ🌲は、いつのまにか鳴りをひそめ、

高い空には、秋の雲🍁が棚引くようになりました。

季節は歩みを進めます。

あきあなたという人がいないのに、時は過ぎる。

【無情でも】、過ぎていくことに、私は、いまだに許せないものを覚えます。

 

…… 上掲の文中の「無情でも」の部分なのですが、テレビ📺でもネットニュースの『弔辞全文』でも、「無情にも」と書いてあります。

 

これね、「無情にも、過ぎてゆく」と「無情でも、過ぎてゆく」とでは、心象風景が明らかに違います。

文章のニュアンスも全く異なって来ます。

 

さて、スガさんが仰った……

…… 無情でも、過ぎていくことに、私は、いまだに許せないものを覚えます」

ここの「無情でも」は、あるいは【無常でも】ではないかと勘ぐっております。

⚫︎「あなたがいないのに時はたんたんと過ぎてゆく、そのこと自体は無情であっても、……

あるいは、

⚫︎「あなたがいないのに時はたんたんと過ぎてゆく、そんな無常の世界の内にあっても、……

 

「無情・無常でも」には、大自然と同位に立つ透徹した眼差しがあります。

ここを、「無情にも過ぎていく」とすると、単にセンチメンタルな情に溺れた一文になって仕舞います。

そんな陳腐なおセンチが、控えめでしめやかに臨むスガさんの口から出ることは、断じてありますまい。

内心ひそかに覚悟と矜持を秘める、スタイリッシュな老漢・スガさんに、そんな脇の甘さは有り得ようがないのです。

 

テレビでも、画面下にテロップが付け足されることが多いが、こうした些細な助詞のまちがいは数限りない。

テレビ制作陣の素養は、あきらかに劣化の一途をたどっている。ジャーナリストが文脈を読めないようでは報道なんか到底つとまるまい。

 

風情ある美しい日本を継承してゆくためにも、些細な「てにをは」の助詞にまで、充分な心遣いができる日本人でありたいものだ。

 

 

 

[※  スガさんの真心を踏み躙るように、某テレ朝局の玉川某が、テレビ報道で、スガさんの弔辞をヒットラーのプロパガンダ演説になぞらえるような不敬な発言をして、世間の物議を醸した。それに対する世間の反応に物申したものが以下の拙稿である]

 

🔴ハメられたと思ったの?

SGさんの弔辞🌿に素直に感動した自分を信じないで、いったい誰を信じるというのか?

電通の仕掛け(プロパガンダ)に乗って、感動した自分がゆるせないとでもいうのか?

まんまと感動させられたとすると悔しいの?

あなたは、自分が感動するのにも、誰かの保証がないと出来ないのですか。

 

国葬というのは、為政者が国民に向けた政治的行為に他ならない。

SGさんご自身も、代表して弔辞を披露するにあたっては責任もあり、故人と聴衆双方に向けた多少の配慮(心情を伝える声のトーンや抑揚等)はなされたはずだ。

葬礼における弔辞とは、故人を称える大芝居演目だからである。

 

感動するにも他人の顔色をうかがって、「それは感動してもいいんですよ」という確証なしには、ひとりで感動することも出来ないようじゃあ、それは既にロボット人間🤖と化しています。

権謀術数の中にも、SGさんの赤心を感じとれないようでは、日本人とは云えませんよ。

自分を信じて生きる、その「オリジナル磁気」が何よりも(神さまよりも)大事なものです。

 

 

 

🔴日出ずる国の独立する日は……

先月の『朝ナマ』でも、タハラさんが仰っていたのだけれど……

最晩年のABちゃんは、憲法改正を言わなくなったんだってね。集団的自衛権を確立してから、アメリカさんはピタッと何も言って来なくなったかららしいです。

そこまでで先方は満足なんですな、それ以上はやってくれるなと、日本にカクを持たせたくないのだと思います。

ABちゃんは、メリカからの地獄のような催促をいなしながら、改憲論議を進めてこられたわけですが……

言われてみると、「戦後レジームからの脱却」という理想(つまり日本が属国的な立場から脱却して、誇り高き独立を果たす)は、第二次AB政権では口の端にのぼらなくなります。

メリカさんと対等になられては(完全なる自立)困るので、ABちゃんに圧力をかけていたと思われます。

 

ABちゃんは、右に左に見事に泳いでみせていたんですね。老獪でしたね、ほんとに惜しまれる傑物であられました。

あんまり、偉そうな日本になると潰されるので、ぼちぼち地力をつけようとなさっていたのかなと察します。

 

改憲せずとも、うまく付き合える方策があったのだろうか? 日本はいつまで経っても西洋に子供(おもちゃ)扱いされている。

だけど、それを逆手にとってこちらの言い分を呑ませてきたのが、ABちゃんのマリオ外交なんだったんだね。(逆オリエンタリズム= 仇敵の武器をもって抗う

西洋は男性、東洋は女性……  オリエンタリズムは、オリエントの自立を、対等な関係になるのを許さない。東洋に役割を振り当てるのは、つねに西洋だけに許された特権なのだ。

男と女とのフェミニズムと同じ構造なのだ。

 

いまの観光立国・日本とは、そうした女性的な媚びを売り物にして生き延びる国家戦略である。

女であり子どもである吾が邦が、どこへ向かってゆくのか、しっかりと見届けねばならん。

日本は火宅に遊ぶ子どもだったとは、内心忸怩たるものがあるね。

 

 

 

🔴__ 野田ex-総理の、国会に於ける追悼演説は真心をこめたものだった。あの、立派な大きなお顔は、まさに千両役者ヾ(@⌒ー⌒@)ノ…… ヨッ、オオトリ

先代の勘三郎張りの見事さで、よき好敵手(ライバル=友)の面目躍如であった。

国葬にも、難しい党内の立場を押しのけてご参列になったのも、人間として誠実なお人柄を思わせる。

 

日本の「民主主義」は、西洋のように勝ち取ったものではないので、後段の「民主主義」の連呼には冷ややかな目で見つめていたのだが…… 

どちらにも角を立てず、それでも本質はスッと差し入れて、死者を鞭打つ非道に立つことなく、伝統的な日本人の偲びかたをして下さり、ほのぼのと温もりを覚えた。

 

すこしく、彼の言葉をなぞろう…… 

不帰の客〜 享年67歳〜 哀悼の誠〜 雨天の友〜 捲土重来〜 兜を脱ぐ〜 丁々発止

明るく 「お疲れさまでした ♪」

身を捩るほど恥ずかしい失言〜 深く深く〜 大失言を詫びる〜 拝礼

(低く響く声音で)

あなたの仕事が

どれだけの激務であったか、わたくしにはよくわかります

分刻みのスケジュール、海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積……

その毎日は、

政治責任をともなう果てなき決断の連続です

容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます

在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです

天成の才

冷静沈着なリアリストとして柔軟な一面を併せもっておられました

国を背負った経験を持つ者同士、

天下国家のありようも腹蔵なく論じ合っていけるのではないか

立場の違いをのりこえ

どこかに一致点をみいだせるのではないか

 

堪え難き寂寞の念だけが胸を締めつけます

追悼の 

その先に伸びた  も…… …… …… 

 

 

__ おふたりの、解散総選挙を宣言したやりとりの舞台では、野田さんの方に貫目があったと思う。

安倍ちゃんは、これ幸いと乗っかる軽々しさが感じられた。あの場がターニングポイントだったから、仕方なくもあるが……  堂々と悠揚迫らぬ態で、保守の自民党として横綱相撲をとってほしかったのも正直なところある。

初めて成った野党では、しゃーないか、当時野田さんファンの私には、何か安倍ちゃんにまんまと嵌められた感があった。

野田さんは、あの政党にしては温和で重厚だったのが、かえって底力を感じさせた。歯の浮くよーなことも口にしなかったし。

安倍ちゃんが心血を注いだ国会の場で、安倍ちゃんに「ご苦労さんでした」と最後に声をかける御仁が、野田さんで良かったとしみじみ思った。

 

[※  スガさんの時とおなじく、今度はTBSのサンモニ大阪のオバハン谷口某が、左寄りの非人情発言で、野田さんの敬弔に泥を塗ったようだが…… ]

 

何より、アッキーが感激しておられたのが嬉しかった。

夫が精魂尽くした戦場で、死してなほ後ろ足で砂をかけるような輩も実際にいるからな。

おなじく国を思う国士に、最後は見送られて…… 

これで、終りなのだな。

 

【霊峰不二山ももし噴火すれば、日本国民がこよなく慕う、流麗な稜線を描く山容が崩れることになろう。木花開耶姫を祀る美しい霊山なくば、日本人は何を仰いで生きていったらよいのか。富士の気高き姿を胸の内に正しく懐き、まっすぐに前を向いて生きるのが、国士である。まっとうな日本人であるのは実はもっとも難しいミッションなのだ。】

 

国士・ABちゃんを忘れません、母国をおもうあなたの赤心は、いま私の胸の内に息づいております。

あちらから、どうか御見守りなさってください。

されば、さらば…… 

           _________玉の海草

 

 

 



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