『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《ちょい言》 なんでも短くして〜 感謝のコトバまで

__大恩ある人の訃報を聞いた芸能人の、感謝のコトバは、繰り返しテレビやネットに流れるから影響力が大きい

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(説明)「前向きな心と言葉をありがとう」と聞けば…… 言わんとする意味はまちがいなく通じる

しかし、「心をありがとう」「言葉をありがとう」「感動をありがとう」「励ましをありがとう」「親切をありがとう」などなど…… 

このうち、「言葉をありがとう」は、「言葉」とゆー確かなもの(文字にできる、音として聞こえるもの)を相手にしているので、おかしな感じはあまりないが…… 

しかし、心・感動・励まし・親切などの「無形なもの」への感謝のコトバは何か変な感じがする

「〇〇をありがとう」と言った場合、「〇〇」に対して何か「物」扱いしているよーな感じだ

西洋文化の「give & take」の発想ですネ

本居宣長は、この国本来の「大和心(やまとごころ)」に対して、大陸から伝わった感性を「漢心(からごころ)」として区別して排斥したが…… 

「心をありがとう」とかゆーのは、「欧米心」(広義の「漢心」ではある)とでも名づけましょーか

 

ーでは、巻頭の芸能人の発言(この人は長らくアイドルで「凄え」とテレビで発言した最初の人だ)をどのよーに言えば、「大和心」なのかと言われたら、私ならばこーゆー

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(私の言い方)「どんな時も、前向きな気持ちで、心のこもった言葉をかけて下さり、いつもありがとうございました」

 

‥‥ やっぱりねえ、「言葉をありがとう」より「言葉をかけてくれてありがとう」の方が、相手の気持ちのこもった行為・行動に対して感謝している風情になるのよ

相手のやってくれた行為を、「心」とか抽象的な「名詞表現」にするよりも「動詞をつかった表現」にして動きを描写した方が、臨場感があるのではないかな

なにか、よろず(万事)カンタンに「モノ」扱いして、短く省略して表現するのは、私は好かない

「〇〇に注目です」「それでは、次です」などの、アナウンサーの言っているコトバもこれと同じ消息であろー

いやな言い方を発明したものだ、とりあえず意味は通じるし、テレビマン的表現をすれば「尺が短い」のだから、すこぶる便利な言い方である

 

ーシンプルな言い方だが、「美しい日本語を話しましょー」とゆーことになる

フランス人なんか自らのフランス語に対する誇りが、おそろしく高い、世界で最も美しい発音のコトバだと芯から信じている

日本語脳、虫の鳴き声がコトバとして聴こえる感性や、日本語にあらわれる日本的霊性を、いまいちど見つめ直す時節になったのではないか

喪われてから悔やんでも、「コトバは生き物」、もはや間に合わない

         _________玉の海草

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