『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

 HiーKu (俳句) 🎋 〜 日本人の 「立てる」 御業

__ 近代俳句の父(=連句を滅ぼした)正岡子規を生んだ、愛媛は道後温泉の松山在住の俳人・夏井いつき女史は、「俳句の力」についてこー云っておられる

> 「自分の身に降りかかってくる全てのことは、全部俳句の種だと思うと、俳句の材料だと思うと、悲しみの底なし沼の中に自分を置かないための装置なんです、

” なんです」

 

‥‥ “Hi -Ku” =「高い苦、あるいは高い上空からの視点」でもいいかも知れないな、

昇華に向かう俳句(俳諧≒ユーモア)、だからなのか「説明」しちゃいけないのです、講釈は野暮天のすることですもんね

それと、俳句の可能性は和歌《短歌》を遥かに上回ります。俳句に課せられた戒律(=季語)が、かえってその飛翔を可能にするようです

短歌は「ものに寄せて想いを述べる」といわれるように、叙情の世界です。

それに対して俳句は、物・事の断面を鋭く截って、その断ち切り方を季節に寄せて楽しむ主知の世界と考えています。

紫式部と清少納言の世界によく比喩されます。

[※  荘内南洲会会報『敬天』より、東山昭子女史の言葉]

 

…… あえて、私なりの感慨を加えると、

 

短歌は、人間の眼から情緒を詠む

俳句は、大自然の眼から真実(リアル)を詠む

 

にわかには信じられないことだが…… 

芭蕉の俳句は、宮中の和歌が詠まない、和歌では詠めない消息に触れうる可能性を孕んでいる

円熟の熟年、晩年に相応しい手遊び(てすさび)なのかも知れない

「俳句」に、かくも深い奥行きがあるものだとは、以下の本📖を読むまでは、知らなんだ

いままで知らなかったことを芯から悔いた、同時にいまにこの本に出逢えたことを有難く思った

HI–KU  __  龍樹のKU (空)でもあるよーな気がしている

侮るべからず、俳諧の道

『奥の細道』とは、ひとの心の奥底に潜る道でもあったとは!

 

 

ー人類学者・中沢新一と俳人・小澤實による対談集『俳句の海に潜る』より、

 

 

 

> 中沢「俳句は必ず季語を立てないといけない。季語を立てる時は気象も関係する。四季の動植物の問題もある。

動植物と気象を立てて、それを季語にして詠むという芸術の、一種のルールですね。すごく重大な問題だと思う。

つまりそれは【人間の目で見るな】ということです。

人間の目で世界を見るのではなくて、人間と動植物の関係性で見ていく。

あるいは、先ほどおっしゃったように「鷹」を詠む時は鷹の目になる。

動植物の目になって世界を認識するということをルールにしているわけです」

小澤「世界は人間のためだけにあるのではないということを歳時記は示している」

 

> 中沢「江戸の人たちは基本的に水路上で生きていた感覚があります。

海が前に開けていて、【浮世】の感覚を持っている人たちだから、心の奥底に海があるんです。動いている。

しかも、単に見るだけの海ではなくて、そこに舟で乗り出していって、自分が海と一体となっていく生き方」

 

> 中沢「移動する時、僕らはタクシーに乗ったりしますが、江戸時代の人は自分の家の前から猪牙(ちょき)舟に乗って移動するのが基本だったでしょう。

わりあい身近いところに水路が動いているという生活感覚がありました。

しかし、現代人はその水路を暗渠(あんきょ)にしてしまいました。

これがいろいろな意味で日本人の想像力に損傷を与えたのではないでしょうか」

 

>【橋を渡すな、舟を出せ】

中沢「今、とか言うじゃないですか。あれ、気に入らないですよね。

絆って、結局、橋をつくって、島と島を結んでしまえと言うようなものでしょう。

人間一人ひとり孤立しているから絆で結びましょうって、そうじゃないだろう。

この間にある海を発見しようじゃないかということのほうが大事で、そこに橋をつくったらおしまいだ。

時々、行ったり来たりする舟があればいいわけで、

【橋をつくったら海に触れられない】じゃないか。この差はものすごく大きいんです」

 

> 中沢「連句ってすごいなと思うのは、珍島や松島みたいな多島海で、そこには島がいっぱいあって、そこへ句という舟を出すんです。それでずっとつないでいって、多島海が見えるというところを楽しんでいるわけでしょう。

それを単独で自立させたままにしたり、あるいは海に入っていかないで橋でつないでしまう。このやり方が俳句を窮地に追い詰めたものじゃないでしょうかねえ」

 

> 中沢「俳句は定型に拘る限り、不自由で、それはいわば橋を渡さない人たちみたいなもので、

海を舟で渡っていくことが大事ですよと言い続けている人たちだと思う。

それは現代世界の中で海を人生の中に取り戻すための重要な作法の一つじゃないのかな。私が俳句を敬愛するのはそのためです」

 

> 佐佐木幸綱「俳句は、本質はアニミズムなんではないですか」

金子兜太「そうなんだよ。アニミズムを無視して俳句を作るなと言いたいぐらいです」

 

> 中沢「インディアンや縄文人の思考はこうです。

宇宙をあまねく動いているもの これをかりに ”  と呼び、英語では スピリット”  と呼ぶことにしましょう。

このスピリットは宇宙な全域に充満して、動き続けている力の流れです。

その 動いているもの”  が立ち止まるとき、そこに私たちが 存在”  と呼んでいるものがあらわれます。

 

立ち止まり方が堂々として、何千年の単位で立ち止まっているものは【石】と呼ばれ、

二百年ぐらいの単位で立ち止まったスピリットは、【木】というものになります。

りっぱな木や石に出会ったとき、インディアンは石や木そのものでなく、その背後に流れている大いなる動いているものに向かって祈りを捧げるのです。

同じようにして、四本の足を持って地上を動くことのできる形で数十年立ち止まることになれば、それが【動物】になる。

空を飛ぶ鳥になるスピリットもある。

もちろんそのには人間もいます。

大いなる動くものが人間という存在として立ち止まったから、そこには人間がいるわけです。

 

ヨーロッパ人の考えたアニミズムは、二元論の考え方です。

物体とアニマは別のもので、物体の中にアニマが入り込むことによって、生命をもって活動しはじめるのですから。

 

ところが古代人らは、一元論で思考します。

大いなる動くもの=スピリットがあって、それが立ち止まるところに存在があらわれ、

あまりにどっしりと立ち止まってしまうと、そこには生命のない物体が存在するようになるが、

それら存在者は生物も非生物も、もともとは一体です。

このような 一元論的アニミズム こそが、ほんとうのアニミズムだと、私は考えます。このアニミズムの考え方は見方を変えると、科学のそれとよく似ています」

 

> 小澤「連歌の発句は、短冊🎋に一行に書き示されることが多かった。

江戸時代になって俳諧が盛んになると、その発句も短冊に書かれた。

子規以来の近代俳句も短冊に書き残されてきた。そして現代の俳句においても短冊は用いられつづけている。

なにより句会は、自句を小短冊に書くことから始まるのだ。

短冊とは天と地とを結ぶかたちである。そこに書き記される俳句は、天地の平穏、平和を祈る詩型と言えるのではないか」

 

‥‥ 中世の『職人歌合』においては、「天皇」は「歌詠み」の職人として出てこられるそーです

天皇のいちばん重要な働きを「和歌を詠むこと」とされる中沢さんは、和歌の言霊のもつ、自然を優美な言語に組み替えて制圧する権力にも触れています

その点、ときにイーグルの眼(大自然の眼)をもつ俳句は違うのだと……

芭蕉が「文明によって完全に言葉に作り替えられていない世界」として東北を目指したのには、西行をトレースする以外にも深い意味があったのだと

 

江戸にしても大坂にしても、水路の入り組んだ、まさに「水の都」であった

いまでも、大都会は海沿いに点在する

それは、日本人の奥底に「海人」の意識がいまだ息づいているからでもあろー

[ 天照太御神は、そもそもは伊勢の海人の信仰で、原初は「海照大御神」と書いたと聞く]

[ 海人族の安曇氏の痕跡が残る地名:厚見、渥見、熱海、泉 ・厚海・渥美・阿積・飽海・飽海川・飽海郡等]

いはく、流れるもの、移ろうものに心寄り添わせる気質、もののあはれを愛でる日本的霊性である

 

和歌あるいは短歌は人間の目で詠むもの、

俳句は人間の目から離れる

 

短歌は口語にも馴染み、「サラダ記念日」にも成るが……

俳句は、古き定型を守り、「大いなる存在」の視点つまり大自然と同位に立って、たんたんと詠まれる

伊勢白山道の、自分で作る廉価な「短冊位牌🎋」は偉大な発明だが……

 

「一句立てる」(発句)とゆー意味でも、垂直性を象徴する短冊がいまでも使われている

 

作庭は空間を作る芸術の大本で、昔の庭師は「石立僧」(山水河原者から成る技能者集団が始源、後年に夢窓疎石が知られる)と呼ばれたらしい

 

石を立てる(=作庭)処から始まるのです

 

 

 

お茶も「立()てる」お花も「立てる」と云う

遥か遠き昔、イザナギとイザナミはオノコロ島で天の御柱を「見立て」たまふ

高く垂直線 (Hi) に立ててゆくことは、神話の延長上から来ているのだとか……

奇しくも、志も立てる(立志)ものである

 

アニミズムに関していえば、グレート・スピリットが暫時立ち止まったモノが人間である、古神道では「霊止(ひと)」と云ふ

十七音の芸術、こりゃあ一筋縄ではゆかないポテンシャルを秘めていそーだ

 

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり (松尾芭蕉『笈の小文』より)

 

…… 芭蕉の口吻は烈しいものだが、静かに自信に満ちたものでもある

うちの庄内地方は、芭蕉の『奥の細道』のルート上にあるが、こんなに畏れるべきアーティストであったとは、今になって漸く気がついた

芭蕉の俳句は、三十一文字の和歌と比べて、より少ない十七音と「季語」といふ制約はあるが、芭蕉翁に云わせれば、西行の和歌(宮中の和歌)や宗祇の連歌には出来ない高みへと昇ったのです

 

和歌に詠めないコト(アニミズムの「モノ(鬼・精霊・神)」に対する)であっても、

型を伴う俳句には「詠むことが出来る」と云って、それを実行したのです

 

和歌における如く、人間の情緒ではなくして、大自然と同位に立った「イーグルの眼」から俯瞰して詠んだものだったのです

まったく、底知れぬ深淵とゆーか、突き抜けた高みに道引く道具を発明したのだなと一入感慨深いです

 

松尾芭蕉おそるべし 、

 

なるほど歿後に朝廷から「神号」が贈られているのも、むべなるかな

言霊を極めた御仁と云ってもよいのかな、芭蕉以前はここまで達せられなかった、芭蕉が「一句を立てる発句」を「俳句(俳諧)」に止揚(アウフヘーベン)した、つまり産み出したのである

自らを斜め上空から見下ろす眼、離見の見、「客観」とは即ち神の御業であろう

        _________玉の海草

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事