『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断3》 「狂信といったら、昔の日本国だって…… 」

__ この拙稿は、伊勢白山道に投稿して不掲載になったものに加筆したものである。

 

プーさんの宗教性を狂信のごとく語る日本人も多いようだが……  あちらからしたら戦時中の日本人こそ狂信者であった。

・捕虜になる恥辱より「バンザイクリフ」から身を投げる、一般庶民(非戦闘員)にまで浸透した異常な精神性。

・自らの命とともに「神風特攻」して敵艦を沈ませんとする滅私の忠誠、その作戦に志願する者が沢山いるという異常さ。

西洋には、生命より大切な作戦なぞ、戦略上存在しない。それを平然と実行する国は、間違いなく狂信者の国として認定されるだろう。(他には、大麻で死への恐怖心を取り除いたイスラム教ニザール派の暗サツ教団アサシン及び同じくイスラム教過激派の自爆テロくらいのものであろう。)

ミカドを中心に、決して怯まない皇軍の士気、決して諦めず、降伏を恥辱とするサムライ魂が、アメリカ人には到底理解できなかった。

理解できないから、狂信者の蛮行と見做したであろうことは想像に難くない。

黄禍論を心の奥底で信じている西洋人は想像以上に多く、日本人の狂信ぶりと異常な行動とが、極めて遺憾なことだが原爆投下を正当化させた理由となっていることは確からしく思われる。

 

宗教( religion )にしろ、印度のヨーガ( yoga)にしろ同様に、「ふたたび(神と)結ばれる」意味である。

プーさんのように、ロシア正教によって神と再び深く結びついた信仰者は、決して自ら信ずる「神」を手離したりはしない。幼き日の純真な教会体験と、成長してからの過酷な任務(KGB)とが、彼を強固な信仰に向かわせたとも言えるかと思う。

プーさんにとっては、ロシア正教の神に生かされて、神の計画に参与している感じではないかな。(2039年の日本晴れに向かって、神謀りを信じて生きている伊勢白山道読者と似ている)

おそらく死後の世界への移行も、ロシア正教にしたがって如実にプログラミングされ、自分が死して後の、世界の消滅は意に介さないかも知れない。

だから、DSにしても、他の勢力にしても、それぞれ信奉する神の計画に基づいて、予定調和的に動いているのが真相だと思う。

武田邦彦先生も言うてはった。イギリス人🇬🇧やアメリカ人🇺🇸(=元・イギリス人)は、相手を騙す癖がある国であると。戦争の始まる前に、彼らの仕組む自作自演の狂言芝居、第一次大戦でも真珠湾攻撃でも自分たちで仕掛けておきながら、いかにも敵国の非道をなじり、義憤からやむなく応戦する型をとっている。あたかも被害国であるかのよーに装った、大規模な詐欺作戦が得意で、それが彼らの常套手段なのである。英米は、産業革命を起こし、近代文明の先端を走る旗手だが、そんな腹黒い実態を隠し持っている。

彼らは自分たちのやりたいよーに振る舞う。第二次大戦の参戦にしても、アメリカには参戦しなければならない理由は元々なかったのである。日本にはアメリカに攻め入る気は毛頭ないからである。それにも拘らず、いちゃもんをつけて敢えて参戦した。覇権とはやりたいよーにやれる力であるからである。

彼ら英米(アングロ・サクソン)が、平然とそのよーに振舞えるのは…… 

【自分たちだけが、神の子である】と堅く信じているからである

神国であることを信じて疑わなかった大日本帝国の在り方と、相似形なのである。

 

まるで、精神病棟の狂人のごとくプーさんを見ている日本人は、過去の母国の覇権ぶりを思い起こさなければならない。

各国のお国柄が、多種多様なのだから、一概にどっちが悪いとは早計に決められないのが、国際社会の外交の難しい処である。

もっと、日本も自らを客観視できないと、助かるものも助からなくなる。

          _________玉の海草

コメント一覧

ISHKノート
今日の記事は、少しく感心した。ちゃんと素人売文家なりの配慮がなされていた。
最初読んだとき、3ヶ所おかしく感じたが…… 月参り終わって帰ってから再確認したら、2ヶ所修正されていた。
なんだ、やれば出来るじゃん ♪ と、すこし嬉しくなったが、それでも文章のセンスは相変わらずいただけない。

・ 「子供を亡くするという心の生き地獄」→「亡くすという…… 」に修正済み
・ 「モミジの葉のように過ぎ落ちた子供たち」→「枯れ落ちた子供たち」に修正済み
・「子供たちが、当時に流行した天然痘で死んで逝くこと」
これは、「死んでゆくこと」が適切な感じがするが、「死んで逝く」でも間違いではない。「死ぬ」「逝く」は同じ意味だから、同義語反復(重複)表現とは言えるかな。この「ゆく」は、子どもがじょじょに弱って死に至る情景を指すものだろーから、「死んで行く」とゆー語感だが、「死んで往く」でも字義的には間違いではない、同様に「死んで逝く」も死んでからあちらの世界に逝くとゆー意味だったら、あり得る表現ではある。
しかし、通常ではこの「ゆく」は補助動詞的につかわれているから漢字表記して深い意味を持たせないものだとは思う。
・「江戸時代は天然痘で多くの子供たちが亡くなりましたが、いつの時代でも、子供の死は有ることでしょう。」
これは、「いつの時代でも子供の死は有ることでしょう」が可笑しい。
まるで、子供の死が無い時代があるかのよーな言い方である。
江戸時代に限らず、子供が死ぬことがあるのは当たり前の事実。誰だって知ってるって!何故推論的な言い方をするのか。
強いてゆーなら「いつの時代でも子供の死は厳然とあります。」とでも言おうか。

何か、隙だらけで論旨がハッキリと組み立てられていない、スッキリと絞られていない文章。あちこちと飛んで、何を一番に言いたいのか分かりにくいときがよくあるのね。
文章全体の感想については、投稿したけど、不掲載だったので、ここに載せておきましょー。
(拙稿)> 良寛の詠んだ元歌を引用しないで、意訳のみ書くとは、画期的な手法です。
ただ、歌というものは説明されるとその風情が失われてしまうものです。その説明だけ載せることで、いかほどの訴求力があるものか。
筆者の自信の無さが、如実に文面にあらわれています。
文句はつけられないし、ネタ元を遡及されることは防げますが、そんな良寛の語り方になにほどの意味があるでしょうか。

__ 夏井先生じゃないけど、歌を説明するって野暮なことだから、ほのめかしたり、風景を描写して解説に変えることはある。
それを、良寛の気持ちを意訳したわけですね。霊視といってもよいか。
歌って、詩心をこめた韻文ですから、それを解説口調の散文にしてしまうと、もっとも大切なもの、余韻だったり、沈黙だったりが台無しになるよね。
スサノオRさんには、薄々勘づいてはいたが、詩心が欠落しているとしか思えない。
ISHKノート
ISHK不掲載の拙稿をアップ
> 8´11´22 “ 2022/03/31 12:27:47 のUnknown は、私です ”
Rさんの応答コメントにあった「自称中卒のUnknownさんへ 」のUnknown コメントを書いたのは、私です。
済みませんでした。急いでいたもので、ハンネを書き忘れて投稿して仕舞いました。

Rさんから叱責と申しますか、怒気を含んだコメントを頂くのは、これで二回目ですね。
青い、悲しさ、苦労に負けたと云われましても、あーそーですか、そーなのかもと静かに受け止めるだけです。
前のときも、そーでした。
将来赤恥をかくでしょーって、霊能者の予言みたいなコメントでした。

実際コメント頂くと、返答コメントについて重ねて質問する読者の気持ちがよく分かる。
・「それ」が、「コメントへのコダワリ」を指すのか、「語句の間違いを指摘する事」を指すのか不明。
・何が「琴線」なのか分からない。「〇〇があなたの琴線に触れた」なら分かるが「琴線であり」はおかしな日本語。(再返答は結構)

このくらいの心理学は誰にでも語れるし、何かしっくり来ない、見透されていない、今回のは、霊視じゃないよな気もするが…… 。
ともかく、霊視の日本語翻訳が、いつも言葉足らずで雑な印象があります。

語句の添削は、ボランティア・サービスのつもりでした。
近年は、Unknown でお知らせしていて不掲載でも怒ったことはありませんでしょ。
ISHKの読者として、かなり恥ずかしいのでお知らせしていたまでです。(「お前、こんな文章読んでんの?」って小馬鹿にされる)
別にそのまま書籍化されて笑われても、私は責任を果したので後悔はありません。
わざわざ私が、云って上げなくちゃならないよーな事ではないのですよ。(だって、ごく初歩的な間違いなんですもの)
出来るだけ早く直した方がと思って、知っている者の義務感でお知らせしていました。
文責を負うのはRさんですから。
これ以降は、黙することに致します。そーいえば、お礼言われたことなかったもんね。有難迷惑だったですか。とんと気がつきませんで、いままでお騒がせしまして、ほんとうに申し訳なかったです。

高い学費と仕送りの4年間は長いですよ、同年輩の高卒はそのとき、毎日働いているんですからね。
そんな恵まれた教育を受けられる時間を粗末に過ごした罪は重い。多額の無駄遣いをした親不孝者でもありますね。
教養ってね、特に拘らなくとも、自然と行間から漏れ出るものです。
正しく身についた(結晶化された)人の文章は、それはそれは芳しく妙趣に富むものですよ。読む方の素養も要求されますけど。
ま、霊視する人には、関係のないことでしたね。
私が間抜けてたばかりに、ルーシェ検索でエゴサーチしたときに、このRコメントが見られなくなりました、、、

追伸;
なにやら懐しいお貌をお見かけしたよーな…… ♪
神武不殺とは申せ、舌鋒は神剣となり得るものか、美しい言ノ葉刀に越したことはないですが、情緒のひと振りもないのではねえ。
卜伝「一つの太刀」には、二段目・三段目もあるんですよ、お気持ちだけ助け舟ありがとう御坐います。

_________
ま、私の内面の声ですな。今回、コメント欄なんてブログ主の裁量で、いかなる色にも染められるものだなと、強く認識いたしました。
ところで、禁止ワードを探索中に気がついたのですが……
最古参の読者で、Rさんの初期の盟友、私の大恩人(ISHK検索を最初に創った)である「真客」さんが、禁止ワードとなっているのです。驚きました。
何があったのか、お互いにタメ口で遠慮なく言い合う仲だったのに、道は岐れてしまったのですね。
人生航路は、さまざまで、一度離れたらもう今生で会えなくなくことも珍しくない。
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