『 自然は全機する 〜玉の海風〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「生きてるだけが仕合せだ」🍎

強くなり過ぎた戦狼〜 卓球王国・中国

2021-08-06 10:33:26 | 卓球

卓球・女子団体決勝戦___

何か、混合ダブルス敗北の責任をとって代表を降ろされた感がある劉詩雯(リュウシブン)選手の代わりに…… 王曼昱(オウバンイク)22歳、なんと世界ランキング4位の若き実力者である

リザーブ選手ですら、こんなに強い中国の選手層の分厚さを感じさせる(劉詩雯は、「日本人キラー」だから戦略的な采配だったのかも知れない)

 

総人口14億人のうち、卓球人口は3000〜8000万人、学校や公園やらどこにでも卓球台は設置されていて、国民皆が卓球プレイヤーである

私は、中学時代卓球部でシゴかれたので、卓球については一家言もっている

中国の卓球代表選手はだから、私のよーな経験者の五月蝿い批評につねに晒されているわけだ

そんな中から揉まれて昇りつめた卓球エリートたちは、ちょっとやそっとの技術レベルではない

そんな卓球自慢の国民の憧れとなっているのが、中国国内の卓球リーグ『超級リーグ』である

福原愛ちゃんも、このリーグへ挑戦して所属選手となり活躍した(「国民の妹」としての愛ちゃんの人気は未だに凄まじく、ウェイボーには500万人以上のフォロワーがいる、離婚騒動にも曰く「何があっても愛ちゃんを永遠支持する!」ーーーちなみに石川佳純選手のウェイボー・フォロワー数は57万人以上であります)

 

日本なんか、昔タモリの唱えた「卓球地味」説どおりで、長い間根暗でマイナーなスポーツであり続けたから、競技人口は現在どのくらいなんだろー?

中国の8000万人といえば、日本人の総人口の3人に2人がやっている程の莫大な規模である

日本でフツーにやっていては、最初っから到底敵わない

365日、卓球に人生を懸けている人にして、やっと同じスタート・ラインに立てるくらいでしょー

伊藤美誠ちゃんは、お母さんの全面的な支援もあって、のびのびと創意工夫をこらした卓球に励んで来た

ただ中国では、国家事業だから、指導陣からして違うのだ

技術レベル・戦略・メンタル強化まで、熟練の指導者が専門に子ども達(ごく一握りの才能のある幼児が選抜されて英才教育をうける)を鍛える

 

石川佳純にしても伊藤美誠にしても、中国語に堪能だが……  中国語を覚えると中国の練習方法についての理解も深まり、中国独特の戦術を実行できて実際に強くなるそーだ

中国では、ドライブやスマッシュにつかう特別な卓球用語が幾つもあるからだ、卓球の打球に対する意識がまるで違うのだ、例えば、

日本語でスマッシュと言えば思い切り叩くイメージ。だが中国語では戦術や力の入れ具合によって幾通りもの言い方がある。

「ディエン」「ファリー」「コウシャ」

ディエンは表ソフトラバーで30%の力で打つ。ファリーは70%。コウシャは一撃で仕留める100%そして120%「ファスーリー」

より細かく分かれた豊富な語彙により技を明確に表現出来るから技術を正確に短期間で習得できる。

‥‥ コトバと身体の操法とは密接なつながりがある

格闘王・前田日明選手も云っておられた

> 生きてて、運動関係であっても、見たものを自分の中で言葉にする能力ってすごい大事なんだよ。
言葉に出来なかったら、イメージ出来ないんだよ。
イメージ出来なかったら、身につかないんだよ。

[※ YouTube で朝倉未来選手との対談にて]

‥‥ つまり、ただ打つスマッシュを、コトバによって意識してイメージすることによって、幾つものパターンを修得しているわけだ

人間は、思考するためにはコトバが必要不可欠である、コトバで思考するからである

この練習方法は、中国では中国拳法の「功夫(クンフー、カンフー)」と同じである

同じ「站樁功(たんとうこう=立禅)」であっても、心が身体にイメージさせるものが違うと全く別物になってしまう(例;円柱を抱きかかえるように馬歩する等)

その「イメージ」こそが、何を想ってその動作をするのかが、その流派の「秘伝」となっているのである

卓球でも、細分化された技術は戦略に有益である

 

卓球コラムニストの伊藤条太さんに拠ると‥‥ 

孫穎莎(ソンエイサ)は、終始徹底して伊藤のバック側を狙って打ったと云ふ

 

    【写真】 表ソフト・ラバー(粒々の凹凸が有る)

 

そこまでして伊藤のバック側を狙ったのは、伊藤のバック側の「表ソフト」というラバーを攻める方針だったからに他ならない。

表ソフトは回転がかかりにくく、自分も難しいが相手も難しいという、いわばハイリスク・ハイリターンのラバーだ。

我慢して一定レベルのボールを伊藤の表ソフトに送り続けていればハイリスクの欠点が出て、必ず伊藤が先にミスをするはずだ、それまで待つという作戦だ。

‥‥ 伊藤選手が貼っている「表ソフト・ラバー」は、1980年代に中国が世界王者であった時に使っていたが、1990年代に欧州で主流となった「裏ソフト・ラバー(表面がツルツルの普通使いのラバー)」による強烈なドライブに敗れ去り、中国は「表ソフト」を捨てることによって王座を奪還した経緯があるそーだ

「表ソフト・ラバー」に対する付き合いの年季が、美誠ちゃんでは遠く及ばない奥行きをもっている

それに加えて、ドライブボールの回転量を調節していたと云ふ

全身を使って回転をかけるふりをしながら、わずかに手首の動きを抑えて回転の少ないドライブを打つ、いわゆる「ナックル・ドライブ」を連発していたのだ。

‥‥ しかも、同じフォームで、パワー・ドライブとナックル・ドライブを打ち分けるのだからエゲツない

美誠ちゃんがよく、ネットに引っ掛けていたのは、そのせいだと云ふ

孫選手は、美誠ちゃんのサーブには、かなりの高回転をかけて返していた

表ソフトラバーに回転量で負担をかけてきた、高速卓球はカット(回転をかける)より打つ(スマッシュ)に重点をおくから

 

孫穎莎は、いままで中国国内では「小魔王」と呼ばれ親しまれてきたが……  このたびシングルスで「大魔王・伊藤美誠」を完膚なきまでに叩きのめした功績が買われ、めでたく「大魔王」に昇格成ったよーだ

日本チームは確かに強いが、気をつけなければならないのは伊藤美誠だけだから、われわれには「大魔王・孫穎莎」がいて伊藤の相手をしてくれる、中国の金メダルは揺らがないと…… 

そして、その通りとなった、中国はエース・陳夢でなく、団体戦に若手の孫穎莎を二回起用してきた、テレビ報道では中国と紙一重の実力などと調子のいいことを言っていたが……  まだまだ、たとえ孫穎莎を破ったとしても、その先がまだまだあるのが卓球王国・中国の懐の奥深さなのだ

現状、孫穎莎に二戦連続して完敗、なす術のない実力差がある

中国国内では、女子シングルスの決勝の同国対決はまるで盛り上がらなかったそーだ、やはり鎬を削る敵国、ハラハラさせる実力のある国が必要なのだ

 

「勝ち上がってきた過程を見れば、日本はとても強い。今や、彼女たちを抑えられるのは中国しかいない」

‥‥ こーした情況に追い込まれることこそ中国人は望んでいる、強力な他国の好敵手あっての優勝こそ一番盛り上がりやり甲斐もあるととらえる国民性であるよーだ

このあたりは、隣国K国とは違い、よって立つ気概と誇りがあるよーだ

その点で、強すぎるがあまり、勝つのが当たり前であるが故に、いま中国では卓球が不人気となっているし、今回のオリンピックでそれに拍車をかける形になってしまった

中国が本気を出して立ち向かうほどの強敵はいない

 

こんなに選手層は厚く、多彩な才能をもつ超エリート選手を大勢かかえているにも拘らず…… 

決勝の日本戦に臨む李準監督の心構えが、真におそろしい

「私たちは毎日(日本に)恐怖を抱き、熟考している。この5年間、毎日が恐怖だった」

‥‥ さすが、「孫子の兵法」を産んだ国ですなあ〜 

つねに、油断なく全力であたるのですな、日本では「楽しんで」などと口走るが、全力を尽くして試合にあたれば、おのずから「楽しい」のです

いみじくも、羽生結弦選手が金メダル獲ってから後続の選手にこーアドバイスしていました

「全力で楽しんでください ♪」

 

‥‥ 女子レスリングの川井梨沙子選手(五輪2連覇達成 ♪)も云っておられました

彼女は日本代表の資格を得るために、4連覇の偉材・伊調馨 選手を打ち破らなければならない荊の道を歩まれた御仁です、さすがに凄いお言葉だと思いました

> 「終わりを考えていると、今日の試合に隙ができるような気がして…… 」

‥‥ 対する『ZIP!』のインタヴュアー吉田沙保里の応えは、

> 「私もリオのオリンピックで4連覇を狙ってて……  梨紗子選手が『これで終わろうという気持ちでは絶対に隙がでる』と言いましたが、私はズバリそのままでしたね。だから『姉妹でそろって金メダルで終わろう』という気持ちがなかったからこそ、この2連覇が達成できたかと思います」

 

‥‥ 今に集中するのが、全力で楽しむことだと思います

「結果は、つねに副産物」 これ、誰の言葉だったかな?

         _________玉の海草

 


  「わび・さび」 の淵源〜 冷えさび🧊(心敬) なんだって

2021-08-02 23:47:39 | 小覚

___満月を愛でる風流ではなく、「冷え寂び」と参りましょー

日本人はいつから、この冷やかな艶を愛でるよーになったのか?

 

 

(拙稿)>川端康成のノーベル賞授賞講演『美しい日本の私』で、広く世に知られるよーになった、道元さんの御歌

はるは花  なつほとゝぎす  あきはつき  ゆきさえて (すず)しかりけり」

この歌は、ご尊父と云われる源(土御門ツチミカド・久我コガとも)通親の

は花  はうつせみ  は露  あはれはかなき  の雪かな」

を元にしていると考えられている

幼くして、ご両親を失なわれた道元さんである

8歳で死に別れされた御母堂・藤原伊子は、バツイチで前夫はかの木曾()義仲であった

この母御は、冬姫 とも呼ばれたと云ふ

上記の御歌「春は花〜」は、こーした事情からすれば、なんとも親思いの歌のよーにも受け取れるが、さにあらず

 

> ……  日本は長らく「冬」というものを見つめる深い文化をもっていなかったんです。

意外なことに、『万葉集』から『古今集』『新古今集』まで見ても、

「冬」の歌はたいへん少ない

それがこの日本禅の時代の到来とともに、『ささめごと』を書いた心敬(しんけい)という連歌師と、そして道元とが「冬の美」というものを決定的に発見するのです。

[※  松岡正剛・連塾『神仏たちの秘密』春秋社-より]

 

‥‥ 道元さんは、冬を含めて四季のすべてを愛した魁と云えるかと思う

「わが庵は こしのしらやま(越の白山) 冬ごもり (こほり)もゆきも くもかゝりけり」

「なつふゆの さかひもわかぬ 越のやま 降るしらゆきも なる雷も」

「をやみなく ゆきはふりけり たにの戸に はる來にけりと 鶯のなく(鶯ぞなく)

 

たとえば道元は「冬の美」(唐木順三『無常』よりを発見した。

冬の風景には何もない。だからこそ花や緑や紅葉を、春でも秋でも自由に想像できることになる。

春と秋を感じるために道元は、あえて冬に日本の美を見出そうとした。

これは連歌師・心敬の「冷えさび」にも通じる。

心敬は本当の「さび」や「わび」、また数寄も「冷えさび」から始まるともいった。

[※  引用元同上、()内は私挿入]

 

…… 命の萌え出ずる春や、結実して枯れゆく収穫の秋に心を寄せる生命讃歌はゆーまでもなく美しい

開放的になる夏の風情もたまらないものだが

冬となるとどーだろー?

私は東北に住まいし、寒さに生命の危機を感じとるが故に、ドラマ『北の国から』の雪景色すら単純に美しいものとは到底思えない

うら悲しい、鈍色の川面や視界を遮る吹雪に、冬とは何より冷たく凍えて寒いものと決めつけて来た

それが、なんと 冷え寂び ですって!

 

 

◆ 冬枯れの「冷え然び」

日本語には「寂しい」とか「少女(おとめ)さびる」とか、俳句や茶道などでいう「わび・さび」とかいうことばがある。

じつはこれらすべては、鉄の(さび)と同語なのである。…()…

そもそも「さびる」とは「然びる」ことで、それらしくあることをいう

[※  中西進『美しい日本語の風景』淡交社-より]

…… この日本独特の「さび」に当てる漢字として、かの「ねずさん」も「然び」の漢字を遣っておられる

建築家の村野藤吾の造った、鉄筋コンクリの茶室(現・目黒区総合庁舎)には、「わびさび」の風情に添うように、「コールテン鋼」(緻密な保護性錆を形成することで、以降の錆の進展を抑える)の安定錆びをそのまま利用している

 

 

「冷え然び」年表 

◆ 万葉集(770年頃に成立?)

「侘寂」の心情の初出については、

わび・さび - Wikipedia 「わび・さびの語源と用例」の項参照

 ↓

◆ 源信明(みなもとのさねあきら、910年生れ)

三十六歌仙

「ほのぼのと 有明の月の月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風」

 ↓

◆ 西行法師(1118年生れ)

とふ人も おもひ絶えたる 山里の さびしさなくば 住み憂からまし

 ↓

◆ 藤原俊成(1114年生れ)〜「寂び」の美を発見

◆ 藤原定家(1162年生れ)〜俊成の子、

『新古今和歌集』撰『小倉百人一首』撰

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」

 ↓

◆ 華厳宗の明恵上人(1173年生れ)

「雲を出でて 我にともなふ 冬の月 風邪や身にしむ 雪やつめたき」

 ↓

◆ 永平道元(1200年生れ)〜「冬の美」

 ↓

◆ 吉田兼好(1283年生れ)

『徒然草』(1330年頃)

花はさかりに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは

(うすもの)は上下(かみしも)はづれ、螺鈿(らでん)の軸(じく)は貝落ちて後こそいみじけれ

 ↓

◆「能」の世阿彌(1363年生れ)

「冷えたる曲」「冷・凍・寂・枯

銀の(わん)のなかに雪を積む

 ↓

◆ 連歌の心敬(1406年生れ)

「冷え寂び」「冷え枯れ」「冷艶」「ひえ・さび・やせ」枯れかじけて寒かれ

歌を詠む際には「枯野のすすき」「有明の月」(源信明の歌)のような風情を心掛けよ

「かたりなば そのさびしさや なからまし 芭蕉に過ぐる 夜半のむら雨」

 ↓

◆ 連歌の宗祇(1421年生れ)

(たけ)高く幽玄にして有心(うしん)なる心

  

◆「侘び茶」の村田珠光(1423年生れ)

〜一休禅師より印可、心敬に影響をうける

月も雲間のなきは嫌にて候」「冷え枯るる

    ↓

「香道」の三条西実隆(1455年生れ)

〜宗祇より「古今伝授」

 ↓

◆ 武野紹鷗(1502年生れ)

〜三条西実隆より藤原定家『詠歌大概』の序巻の講義を受けて,茶道の極意を悟る

 ↓

◆ 千利休(1522年生れ)

「炭の花」

「枯のこる 老木の桜 枯折て 今年ばかりの 花の一房」

 ↓

◆ 俳諧の松尾芭蕉(1644年生れ)

「さび(寂)・しをり(撓/萎)・ほそみ(細)・かるみ(軽)」

「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」

 ↓

    ↓

◆岡倉天心(1863年生れ)

『The Book of Tea(茶の本)』

茶道の根本は “ 不完全なもの ” を敬う心にあり

 ↓

◆柳宗悦(1889年生れ)

「民藝」運動の中で、「用の美」

_ . _ . _ . _ . _ . _  

「冷え然び」年表 (ここまで)

 

 

 

‥‥ 歴史年表的に概観した処で、「冷え寂び」の心敬とやらの歌を味わってみよーではないの

 

水青し消えていくかの春の雪

朝すずみ水の衣かる木かげかな  (水の衣=氷)

山深しこころにおつる秋の水

日を寒み水も衣きるこほりかな

梅おくる風は匂ひのあるじかな

心あらば今をながめよ冬の山

雲はなほさだめある世の時雨かな

 

          散る花にあすはうらみむ風もなし

          朝ぼらけ霞やちらす花もなし

          散るを見てこぬ人かこつ花もなし

          夏の夜は草葉を夜の露もなし

 

          

 

氷は水より出でて水より寒し。藍はあゐより出でてあゐより青し。にほひは色より艶ふかし。」

 

「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても草木の露をながめても、

此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしくして、幽玄に心をとめよ」(『心敬僧都庭訓』)

 

氷ばかり艶なるはなし

苅田の原などの朝のうすこほり。古りたる檜皮の軒などのつらら。枯野の草木など、露霜のとぢたる風情、おもしろく、艶にも侍らずや」(『ひとりごと』)

人の世は 花もつるぎの うゑ木にて 人の心を ころす春かな

 

 

‥‥  茶の心を代表する和歌として歴代宗匠から愛されたのが

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」 (藤原定家)

この歌は、明らかに

「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」 (西行)

の影響下に詠まれているそうである。

 

定家卿と西行法師は、年齢的に40歳位の差があるが…… 西行のことは歌人の先達として高く評価している。

 

「なかりけり」との否定は、ありし世をあったであろう花を喚起させないと叶わない。

二重写しの情景が、墨絵のごとき朧な移ろいをもって幽玄境にみちびく。いわば無のなかに美を見いだす徹見であろうか。

 

【『新古今和歌集』は、西行と定家の饗宴の場】

 

 

__ 相似た消息が、芭蕉の俳句にも見られる

 

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 

 

あたりに響き渡る蝉の音があってこそ、山寺の草深い参道の森閑たる佇まいを際立たせる

この、目の前に何もない〜心がありし日を映す〜廃墟に佇み去来する感じが、お日様の照り返しが烈しい夏のお昼頃に揺らぎ出る「陽炎」の風情に重なります、ひとことで申さば「俤〜 於母影〜 面影」とゆーことでありましょー

夏草や つわものどもが 夢の跡 (芭蕉)

 

松尾芭蕉には、忍者疑惑がありますが……  それだけ旅の空が多かった人だったわけで、

和歌の西行、連歌の宗祇(師匠の心敬もまた)、俳諧の芭蕉…… 

いづれも【漂泊の人】

旅人の生を送った人です

芭蕉は、ご自身が日本の連歌の本質を正しく継いでいるとゆー自負があったと思います

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり (松尾芭蕉『笈の小文』より)

 

 

松尾芭蕉『嵯峨日記』より> 

廿二日

朝の間雨降る。けふは人もなく、さびしきままにむだ書きしてあそぶ。

其のことば、

喪に居る者は悲(かなしみ)をあるじとし、

酒を飲むものは楽(たのしみ)()あるじとす。

さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。

又よめる、

山里に こは又誰を よぶこ鳥

(ひとり)すまむと おもひしものを

独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。

長嘯(ちょうしょう)隠士の曰く、

「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と。

予も又、

うき我を さびしがらせよ かんこどり

とはある寺に独居(ひとりい)て云し句なり。

 

 

‥‥ 西行法師の御歌については、こんな英訳もされてある

> とふ人も おもひ絶えたる 山里の

さびしさなくば 住み憂からまし      (西行)

A mountain village

Where there is not even hope

Of a visitor

--

If not for the loneliness,

How painful life here would be !

(*ドナルド・キーン『日本文学の歴史』中央公論社-より)

 

‥‥ ドナルド・キーンさんは、外国人ながら谷崎潤一郎に日本語の文章を認められたり、東日本大震災の後に日本に帰化なさったりと、私も一目おいているのだが、この英訳はいただけない感じがします

芭蕉の逸話でこんな消息を伝えていたからです

下伏に つかみわけばや 糸桜

という句を去来が「糸桜の十分に咲きたる形容よく言ひ畢ほせたるにあらずや」と賞賛したのに対して、芭蕉は、

   「言ひ畢ほせて何かある」

と答えたという。去来はそのとき初めて肝に銘じて「発句になるべきこととなるまじきこと」を知ったと回想している。

‥‥ 「言い尽くして、あなた、どーなるん?」と鋭くツッコんだんですね

芭蕉の本気が窺えるエピソードであります、心敬の言葉が自分の深奥に刻み込まれてあるのでしょー

 

> 「言わぬところに心をかけ、冷えさびたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。」(心敬)

「つくるよりは捨つるは大事なり」(『ひとりごと』)

‥‥ 俳句では「説明している句」はNGとゆーもんな

説明や感嘆句なんか無用、その空気感を「余情」を漂わすものなんですね

 

俳句にあっては「人間の眼で見るな」(中沢新一)ということなんですね。

「大自然と同位に立つ」(G.  アダムスキー)というか、一歩退いたというか離れた地点から冷徹に愛でるといった視点が「冷えさび🧊」にはありますね。

日本人はスミに置けないですね、いわば 欠如・欠落の内にも美を見い出す 変態ですね

こんな日本人ですもの、経済大国から没落しても何ら問題ないのかも知れません

洛外に住んで、洛中の真・京都人からは距離をおかれている(つまり馬鹿にされている)とびきりの風流人のお言葉を最後に引用しよー

 

>  私は京都のちかくで生まれ、そだちました。

もう、半世紀以上にわたり、この街をながめつづけたことになります。

そして、日本がおとろえゆく今、あえて言うことにいたしましょう。

京都にも、昔はかがやいた時代がありました。

…()…

千年をこえる歴史のなかで、いろいろつらい目にもあってきました。

今は、首都の座を東京へゆずりわたし、一地方都市になっています。

ですが、京都にすんでいる人々が、さほど不幸だとも思いません。

街としては、はなやぎがなくなりました。さまざまな指標も、低迷しているでしょう。

でも、人々はほこりをもって、もちすぎているくらいですが、くらしています。

没落の先輩として、言いきりましょう。

没落をおそれることはありません。たいせつなのは、どうやって没落していくかというところに、あります。

…()…

ねがわくは、ゆとりをもって どうどうとおちぶれたいものです

 

[※ 井上章一『没落をおそれることはない』*文藝春秋・四月特別号寄稿文より]

 

‥‥ 冷え錆び〜冷え然びって、堂々たる没落って、日本人は無敵です

日本人の本質は、しなやかにしたたか、おおらかに「ひえさび」なんですよ

          _________玉の海草