武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

魚になりたいと思った太宰治は魚になることができたのだろうか・・・桜桃忌に

2013年06月11日 23時05分38秒 | Weblog

さて今週末は、二人会inガス燈です。

6月は桜桃忌の月でもありますので、今年も太宰治を読みます。

『魚服記』

青空文庫に下の文章がありました。

 魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短かい物語の題ださうです。それを日本の上田秋成が飜譯して、題も夢應の鯉魚と改め、雨月物語卷の二に收録しました。
 私はせつない生活をしてゐた期間にこの雨月物語をよみました。夢應の鯉魚は、三井寺の興義といふ鯉の畫のうまい僧の、ひととせ大病にかかつて、その魂魄が金色の鯉となつて琵琶湖を心ゆくまで逍遙した、といふ話なのですが、私は之をよんで、魚になりたいと思ひました。魚になつて日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらうと考へました。
 私のこの企ては、どうやら失敗したやうであります。笑つてやらう、などといふのが、そもそもよくない料簡だつたのかも知れません。
 
 
 
 
そして・・・『魚服記』より:
 
 ふと、両脚をのばしたら、すすと前へ音もなく進んだ。鼻がしらがあやうく岸の岩角へぶっつかろうとした。
 大蛇!
 大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。
 小さなであったのである。ただ口をぱくぱくとやって鼻さきのをうごめかしただけのことであったのに。
 
6月15日(土)15時開演です。
 
どうぞお運びくださいませ。
コメント
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