5月28日(土)15時から
広尾にある東江寺本堂にて、『身毒丸』を読みます。折口信夫作です。
星野孝司さんによる月琴の演奏もあります。
今回読む『身毒丸』は三島由紀夫の『弱法師』や寺山修司の『身毒丸』と、おおもとは同じ物語なのですが、すじはずいぶん違います。継母は出てきません。乙姫は、名前もなく「関の長者の娘」として出てきますが、すぐに追い返されます。後々、身毒は彼女の幻影に悩まされることにはなるのですが。
そのことから身毒の師匠源内法師から折檻を受けることになります。
源内法師の身毒への愛着と身毒の・・・。
「おまへには まだ分かるまいがね」
から
「おまへも、やつぱり、父の子ぢやつたなう。信吉房の血が、まだ一代きりの捨身では、をさまらなかつたものと見える」
への物語。
私が説明するよりも、以下、作者による身毒丸の「附言」を貼りつけてみます。
(附言)
この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去つて、
最原始的な物語にかへして書いたものなのです。
世間では、謡曲の弱法師から筋をひいた話が、
江戸時代に入つて、説教師の題目に採り入れられた処から、古浄瑠璃にも浄瑠璃にも使はれ、
又芝居にもうつされたと考へてゐる様です。
尤、今の摂州合邦辻から、ぢり/\と原始的の空象につめ寄らうとすると、
説教節迄はわりあひに楽に行くことが出来やすいけれど、
弱法師と説教節との間には、ひどい懸隔があるやうに思はれます。
或は一つの流れから岐れた二つの枝川かとも考へます。
わたしどもには、歴史と伝説との間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。
殊に現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑うて居ます。
史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、
小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。
わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うて見たのです。
この話を読んで頂く方に願ひたいのは、
わたしに、ある伝説の原始様式の語りてといふ立脚地を認めて頂くことです。
伝説童話の進展の径路は、わりあひに、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。
拡充附加も、当然伴はるべきものだけは這入つて来ても、決して生々しい作為を試みる様なことはありません。
わたしどもは、伝説をすなほに延して行く話し方を心得てゐます。
俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまるが正しからうと思ひます。
身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。
わたしは、正直、謡曲の流よりも、説教の流の方が、
たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐると思うてゐます。
但し、謡曲の弱法師といふ表題は、此物語の出自を暗示してゐるもので、
同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明りの尊さを見せてゐると考へます。
地図がわかりずらいと思いますので、地図も貼りつけますね。
よろしかったら、ふらりとお立ち寄りくださいませ。