令和元年11月19日に母方の伯父(母の兄)が亡くなりました。
92歳でした。告別式は24日。兄と行きました。朝、斎場のある館山は大雨の予報でしたが外れて、暖かくよい天気。
久しぶりに会った従兄弟や従姉妹たちと話しました。
道々、こちらは台風15号の被害が大きくて、ブルーシート被った家が多かった。
被ってなくて、瓦が崩れてる家も見かけた。沢山。
伯父は7月に具合を悪くして救急車にて私が行きつけの総合病院に入院。
その後地元の病院に転院。
先に火葬してしまったので、お顔は見られませんでしたが、眠るような顔だったそうで、遺影もきれいなお顔をしてました。
母の実家は美形が多いんだよ。こっちに似たかったわ。私。
仲良くしている伯父の娘の従姉妹と話をしたら、彼女のお姑さんも最近亡くなって、まだ四十九日も終わってないという。う~ん。
富浦に住んでる従兄弟は母の妹にあたる叔母の息子なんだけど、叔母さんしかもう母のきょうだいは残ってないと寂しそうにしていたとのこと。
お通夜に来たらしい。会いたかったな。母に似ていたんだ。叔母さんのお顔。
で、あっちは台風の被害がひどくて、従兄弟に大丈夫ですか?と訊いたら「大丈夫じゃないんです」と返ってきて言葉もなかった。
一億円持ってたら一千万円くらい差し上げたかった。持ってないからできないのが残念です。
もう一人、母の姉の伯母(故人)の娘の従姉妹とも会って、手を取り合って再会を喜ぶ。斎場で不謹慎だけど。
私には姉がいないので姉のように慕ってしまっている。母も彼女のことをとても褒めていたっけ。ご主人もとても良い方で、遺影は彼が撮影したものだという。
本当に良い写真だった。伯父の優しさが詰まったような写真だった。
残念なのは伯父の妻である伯母が施設に入っていて出席できなくて、しかもショック受けるといけないので亡くなったことを教えてないとのこと。
伯母さんのことも好きだったから、悲しい。
明けて25日は義妹18日が命日だったけど、次男の腋が化膿して病院に旦那が連れて行き切開して手術。翌日も傷口消毒のために通院で墓参行けなかった。
墓地は市原市。
義弟の家に行き仏前に花を供える。
義弟に先導してもらって墓地に行く。
市原まで行く途中でもブルーシートの家が沢山。土砂崩れの痕もあり。
花は義妹が好きだったトルコ桔梗や可憐な花が沢山。
私は白いカラーの花を選んだ。
まだ若かったからね。
私が死んだらチューリップやカラーが好きだな。うん。供えて欲しいわ。
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