ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

離脱の精神症状

2011年01月17日 23時43分47秒 | 離脱症状
チャムランさんのグラ(太)とナチュラルで渋めのチャムランオリジナルブレスのコピー。カレンシルバーの小粒を編み込んで。

2011-1-17(月曜日)断薬1年と2ヶ月 回復は一進一退
離脱仲間の心身の状態を知るにつけほんとうに身につまされる。
クスリで抑えていた不安感は焦燥感と恐怖心という兄弟まで引き連れて襲ってくる。それは普通の人が感じるそれらとは比べることの出来ないレベルの酷さだ。
クスリの副作用もましてや退薬症状など全く無頓着なころにも味わっていた恐怖。
服用から長い時間が経っていた。寝ようとしてウトウトすると”わぁ!”という恐怖で目が覚める。いままさに首でも締め上げられたかのような恐怖。それは目が覚めて現実を把握すれば荒唐無稽だと分かる筈なのだが、現実には何も起こっていないと分かっても恐怖は消えない。
現実認識とはまったく別の作用で起きている・・・起きている・・何?  気持ちじゃないし、感情と言う言葉でもない。
不安感・・不安におもう心・・不安な感情。普通そこには対応する現実がある。
学校に行くのが不安。新しい人間関係が不安。それは、感情とか心とか気持ちとか言われる。
ある離脱経験者の方が”ギロチンの順番を待つような気持ち”と表現しておられた。
離脱の恐怖心、不安感に対応するような現実を探すとなるとこんな極端な場面が想像できるということだ。
その現実があるはずも無い中、そのような酷い恐怖心、焦燥感、不安感に絡めとられるのが離脱の精神症状。
ただただ叫び走り出して壊れてしまいたくなる。たくなる・・というのは少し違うかもしれない。そのような衝動が突き抜けると言ったほうがいい。
対応する現実が無い中、ただクスリの作用に踊らされて精神は苦しみ続けて苦しみの理由を探そうとする。
対応する現実を探そうとするのだと思う。
過去への悔恨、現実への絶望、未来展望の無さ。それらに自分が苦しんでいるのではないかと、だからこんな精神状態なのではないかと。
なんとしてでも納得したいのは人の常。
しかし離脱の精神症状に対応する現実を探してもそれは意味が無い。見つけても精神症状は去りはしないからだ。
ほんの少し雲の切れ間に差す陽の様な元気な精神状態の自分が現れたらそれがチャンス。
その時を使って頭を論理的にしておこう。
ほんの少しだけでも積み重ねていけばかなりの事が整理されるはず。
精神症状と真っ向から向き合わないために、本来の自分ならどう考えるか、何をするか。そして今の自分はどこまで出来るか。何が試せるか。

ここからは私への激励ですわ。
そしてこの際、離脱前にやりたくても後ろめたかった事やってみるといいと思う。いまやりたくなくても試してみるといい。誰かのために道を譲っても自分のためには堂々と歩こうともしなかった。
傾いた身体で息を切らせてもまだ誰かの代わりをやろうとしていた。
そんなに自分を切り売りして何が欲しかったのか。
自分を愛せない人間に他人は愛せない。自分の中に愛が溢れて初めて誰かを愛せる。
もうそう長くない人生を黄昏て楽しく生きて行きたい。
自分のためにゆっくりと”さぁ、お茶にしよ~~”そんな些細な時間から作り直して行く積もり。





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