昨晩は何度も中途覚醒した。
そのわりには朝普通に近い時間に起きることができた。
なんで中途覚醒をしたかと考えてみると、昨日家族と病気の話について随分したことを思い出した。
双極性障害委員会の水島広子氏等の言い方だと、こうした出来事を「エピソード」と呼び、記録していく。
それでどんなエピソードが病状に影響を与えているのか確認をして、その後に事前にそうしたポスト・エピソードに備えられるように本人ができるようにするというのが、対人関係療法のひとつの方法である。
この間の日曜日にたくさんの人と会った後の不調は、頭が疲れてグルグルしている感じだった。
でも昨日は少なくとも、寝る前には落ち着いていた。まあ確かに病気のことを話したときにはグルグルはしなかったが重たかったことは事実だが。
病人の不安というのは、通常の人の不安とは別次元のものである。それが精神や心の病系ならばなおさら揺れは大きい。
いちばんの問題はゴールが見えないこと、あるいはまちまちであることである。ゴールの見えないレースほど過酷なモノはない。
だいぶ自分との折り合いをつけてきたつもりではあるが、途上は途上である。パリダカのレースの砂漠を走っている気分だ。
しかし考えてみると、人生というモノはもともとそういうもので、多くの人は平穏な人生を願っているが、それを得られる人はごく少数なのだろう。
ただなぜだかわからないが、人によって人生の苦難はことなることは事実である。
ある意味、ボクは選ばれてしまったひとりである。もちろんもっと大変な選ばれた人もいるが。