今日は天気のせいか、身体が重い。
双極性障害研究者、加藤忠史氏は精神疾患が脳という臓器の病であることを前提にして、よくコピーライター・小説家などだった故中島らもさんの「こころだって、からだです。」というコピーを引用する。ボクのらもさんの印象は新聞?の「明るい人生相談」?というコラムだった。加藤氏によれば、らもさん自身双極性障害だったという(彼がアルコール依存症だったのは有名な話だが)。
双極性障害と他の精神疾患が合併すうことはよくあるようなので、らもさんもそのパターンだったのだろう。
「こころだって、かだらです。」という言葉は今となっては多少受け入れてくれる人も増えているのかもしれないが、コピーライターとして彼が活躍した80年代から90年代で考えれば、それはある種の異端であったりパラダイム・シフトであったりしたのだと思う。このコピーをらもさんは自身の病気が相当ひどくなってから「心が雨降りする日には」という自伝で語っている。
心の病については、どうしても内因性が強調されるし、遺伝由来の多い「精神病」という名称が受け入れがたいが故に初期の患者も家族も「内因性」を歓迎したりしがみついたりする。
しかし近年の脳科学によって、内因的影響はあるものの脳という臓器の伝達物質の異常が起きていることは、仮説であるもののいろいろな実験や遺伝子の解析によって認められるようになった。
「こころだって、からだです。」という言葉は普通の人は精神的休息や癒やしの方向性として理解するのだが、精神病・心の病を患うものにとって、まさに「こころだって、からだです。」なのだ。
そしてただ単に内因性、極端な言い方をすれば心の弱さが病気の理由にされてしまうときに、いちばんつらいのは本人である。