ジョカンは朝とは違い午後になると参観者が少なくなったようだ。薄暗い本堂は線香とバターの灯明で煤けている。小昭寺では坊さんが本尊の前に数列で並んで座ってお経を上げていたけど、ここでは僧服の布地で僧の姿を模して織ったものが並んでいた。ナプキンで花やら鳥の形に織ったアレと同じである。それでも暗い中で見ると一瞬坊さんと思うほどだった。
ご本尊を一回りしてマニ車の回廊を巡り上の階に行く。聖なる場所を廻ることをコルラというそうだ。ジョカンではご本尊以外にも大きな鐘を廻り、回廊も廻った。それにジョカンの周りーバルコルーもミヤゲ品を見ながら何周か廻った。その上目に付いたマニ車もクルクル回したので、コルラと読経を数多く行なったことになる。過去の罪はこの祈る行為で随分減殺されたと考えます。(笑)
上の階に行くと寺の配置がよく分かり中庭に面して本堂があり2階には宿坊がある。チベット寺院で見られる大きな天幕のような布地は壁の代わりなのか宗教的な意味があるのか分からないけど、それで覆われている部分が多い。雨が少ないので布でも用を足し長持ちもするのだろう。
屋上まで上ると建物を飾る宗教的な意味合いを持つ造形物が多数配置されている。金色の塔が数個立っている、日輪を象ったのか車輪のような輪の両側に鹿が座っているのもある。これはジョカンのシンボルマークのようだ。
見晴らしが良く広場から通りまでよく見え、ポタラ宮もはっきり見える。
ガイドを帰してから入ったので気ままにのんびり飽きるまで内外の景色を見た。参観客も少ないので写真撮る時も他の客に気楽に”どうぞお先に”と譲るほどの余裕があった。食事をバケツに入れて運んでいる、それから分けてもらいその場にしゃがんで食べ始める坊さんや車座になって食べているグループもある。宿坊を覗くのは気が咎めるので、そこまではしなかった。
トイレの表示にしたがって進むと腰の高さで囲われた塀に青空天井のトイレに行き当たった。それほど急を要していなかったので見るだけにした。高さが70cm、長さが1m以上の木枠で組まれた便座(?)、あれに座っておけばよかったと今頃になって後悔している。
ジョカンは屋上からの眺めも良いので是非入ってみることをお勧めします。
写真はジョカン屋上から見るポタラ宮です。拝観料の70元は高いと思いつつも、
ご本尊を一回りしてマニ車の回廊を巡り上の階に行く。聖なる場所を廻ることをコルラというそうだ。ジョカンではご本尊以外にも大きな鐘を廻り、回廊も廻った。それにジョカンの周りーバルコルーもミヤゲ品を見ながら何周か廻った。その上目に付いたマニ車もクルクル回したので、コルラと読経を数多く行なったことになる。過去の罪はこの祈る行為で随分減殺されたと考えます。(笑)
上の階に行くと寺の配置がよく分かり中庭に面して本堂があり2階には宿坊がある。チベット寺院で見られる大きな天幕のような布地は壁の代わりなのか宗教的な意味があるのか分からないけど、それで覆われている部分が多い。雨が少ないので布でも用を足し長持ちもするのだろう。
屋上まで上ると建物を飾る宗教的な意味合いを持つ造形物が多数配置されている。金色の塔が数個立っている、日輪を象ったのか車輪のような輪の両側に鹿が座っているのもある。これはジョカンのシンボルマークのようだ。
見晴らしが良く広場から通りまでよく見え、ポタラ宮もはっきり見える。
ガイドを帰してから入ったので気ままにのんびり飽きるまで内外の景色を見た。参観客も少ないので写真撮る時も他の客に気楽に”どうぞお先に”と譲るほどの余裕があった。食事をバケツに入れて運んでいる、それから分けてもらいその場にしゃがんで食べ始める坊さんや車座になって食べているグループもある。宿坊を覗くのは気が咎めるので、そこまではしなかった。
トイレの表示にしたがって進むと腰の高さで囲われた塀に青空天井のトイレに行き当たった。それほど急を要していなかったので見るだけにした。高さが70cm、長さが1m以上の木枠で組まれた便座(?)、あれに座っておけばよかったと今頃になって後悔している。
ジョカンは屋上からの眺めも良いので是非入ってみることをお勧めします。
写真はジョカン屋上から見るポタラ宮です。拝観料の70元は高いと思いつつも、