あ〜まみの都♩ 名瀬〜のまち🎵
奄美群島の 地元新聞「南海日日新聞」のコラムに
大島紬の織子を題材にしたヒット曲「はたおり娘」の記事を目にした。
独身時代、ラジオから流れてくる哀愁漂う「はたおり娘🎵」の曲にぞっこん惚れ込んだものだ。
私の記憶では 裕福な家庭は、女性がはた織りをしている家庭だった。
私は、
地元高校を卒業後、両親が高等教育を受けさせてくれた。
我が家は分家で 譲り受けた畑地は僅か。
父は体は強い方では無かったが知恵があり、農地を借りて米を作ったり、猫の額程の畑には換金作物を植付け現金を稼いだ。そして、稼いだお金で田んぼや畑地を買い子供達を養った。
牛も豚も飼育した。
牛の餌になる草刈りや豚の餌やりは 子供達の仕事であった。
母は、母方の父と弟が戦争にかりだされ弟や妹を祖母と育てた体力の持ち主だった。(結婚し末っ子を産んだ後ヒジュル病(現在で言う、自律神経失調症又はパニック症候群に似た症状)に悩まされながらも85歳まで働き続けた。
私は 産まれた時に産声をあげず仮死状態だったと聞く。産婆さんが産まれたばかりの私を逆さにし お尻を叩き 鳴き声をあげさせたと聞けば 親を大切にしないわけにはいかない。
話がズレてしまったが、この「はたおり娘」の曲を聴いたり 見たりするたびに 裕福な家庭と我が家の苦しかった家計で7人の子供を育て上げた両親
への感謝の念が絶えない。
私が、93歳の母親を自宅介護中心に生活をしているのは このような背景にある。
愚痴も言わず こまめに介護してくれる妻には 口に出して言えないが「感謝 感謝」です。
大島紬が再興し 又 奄美の活性化を願うばかりである。