上田市の次にバスは長野市に向かいました。
七年に一度の盛儀・御開帳の参拝にきた車でごったがえす中を何とか善光寺に着きしました。
北門の前に咲く桜は満開で 風を受けて花吹雪が舞っていました。長野は善光寺の門前町として発達した都市なので、古くから長野盆地を「善光寺平」と称していました。
さて善光寺(ぜんこうじ)は長野県長野市大字長野に位置する天台宗大勧進と浄土宗大本願からなる両派の仏教寺院です。
山号は定額山(じょうがくさん)と称します。
天台宗と浄土宗の別格本山ともなっています。
日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられているのだそうです。
天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されています。
大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めているそうです。
大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではなく代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えています。
現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっているそうです。
本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、絶対の秘仏であり、その姿は寺の住職ですら目にすることはできないのだとか。
本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられ安置されているそうです。 瑠璃壇の前には金色の幕がかかっています。
朝事とよばれる朝の勤行や、正午に行なわれる法要などの限られた時間のみ幕が上がり、金色に彩られた瑠璃壇の中を部分的に拝むことができるのだとか。
善光寺本堂は1953年(昭和28年)3月、国宝に指定されました。また、山門(三門)と経堂は重要文化財です。
本堂では床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」が体験できます。(有料)。
また、日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るのだそうです。
江戸時代には往路は東海道、復路は中山道を旅し、「お伊勢参り」の帰りには「善光寺参り」を行う場合もあったのだとか。
さて問題の御開帳についてですが、善光寺公式HPによれば「七年に一度の盛儀に、前立本尊さまとのありがたい結縁」だそうです。
善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏。その後、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られ、拝されるようになりました。
前立本尊は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並び、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿をされています。普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶います。
この日も拝みたい一心の熱心な人たち?が長蛇の列。待ち時間1時間以上とのことであきらめました。
中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸にかわり、白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれます。
その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこと。ここにありがたい結縁が生まれ、その功徳ははかりしれないのだそうです。
回向柱に触れるために並んだ人たちが長蛇の列。待ち時間1時間以上とのことでこちらもあきらめました。
これでは いったい何をしにお参りに来たのやら解りませんね。それじゃあ大門に登って上から全景を眺めようとしてもこちらも待ち時間20-30分。
それでも本堂にいたる仲見世を覗き、少しだけ大門前にある竹風堂・善光寺大門店でお茶してみました。竹風堂は東京のデパートにも進出している和菓子の老舗です。栗きんとんやら栗おこわで有名です。
門前に広がる風情のある 商店街を歩いていると あっという間に2時間が経過しました。
善光寺をあとにしてバスは北上し、桜が満開の飯山市を抜け一路宿舎であるホテルへ向かったのですが、その宿泊先はなんと長野県と新潟県の県境にあるオフのスキー場にあったのです。 詳しくは次回ということで。
今日も お立ち寄りいただき 有難うございました。
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