新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代39「大学の醍醐味のゼミナールを決める(その1)」

●39大学の醍醐味のゼミナールを決める(その1)

 現代はいざ知らず、昭和後期の頃の新潟大学の文系学部といえば、3年4年のゼミナールが学業のメインであった。週一回の2コマ3時間分の授業で、担当教授を十数人の学生が囲んで課題について議論して、ゼミとしての取りまとめをしたり学生各々のレポートや卒業論文制作に役立てたりするもので、いわば講義型でなく演習型の動的な内容だ。
 大学の講義型の授業というものは、学生自身の考えにより一週間のコマをできるだけ埋めていこうと思えば3年生までには卒業に必要な単位というのは殆ど取得できる。4年生においては週に半日のゼミだけ大学で授業を受け、それ以外は就活や卒論制作などに注力するというのが大方の学生達の主流だったのだ。
 私も御多分に漏れずに3年生時で卒業に必要な単位を取り終えて4年生ではフルに就活に専念したいと考えていた。2年生までにサークル活動や遊び、バイトが過ぎていた私は、3年生にて授業のコマを一杯に埋めていくことになる。となると、3,4年生と二か年にわたるゼミというのはあまり面倒でないものにしたかった。
 専攻した学科を深く掘り下げて学士として卒論といった形で自身の学業を総括する。そんな大学生としての肝というかメインイベントがゼミ活動なのであったが、5つ年上の兄の同じ新潟大学における学業への取り組みの軽さや、それでも就職にそれほどの影響があったようにも思えないことを見聞きしていた私は、卒業資格のための通過儀礼の一つ程度とゼミを捉えていたのだ。
 ゼミも他の講義と同じように学生達から受講希望を募った上で定員枠により調整される。ゼミの教授や演習の雰囲気などの情報収集は女子学生達が長けていて、我々男子学生は又聞きの噂レベルで各々のゼミの教授や内容の厳しさなどを半端に知り得ながら、聴講希望票を提出する有様だった。
 そうした噂に上るのは、極めて人気が高くて競争率の高そうなゼミか、厳しさ過酷さが突出していて学生達に毛嫌いされているかのどちらかであった。学友達は賭けるような思いで前者に一票を投じるのであるが、足きりされて希望が叶わない場合に待ち受ける不人気で恐怖のゼミ…ということなのだ。
 私はといえば、どっちに転んでも面倒くさそうだなあと、各々のゼミの紹介一覧が貼りだされていた掲示版をぼんやり眺めていた。人気のゼミというのそれが維持されるためには内外に相当アピールできるための内容が学生に求められるだろう。ここまでに大学の学業というものにそれほどの期待や思い入れを抱けてこなかった私は、バイトや就活に支障のなさそうなゼミはどこかとか、落選して受講先を再調整などの手間は面倒だとか、不謹慎にもそんな気持ちだったのだ。
 そんな思いでお歴々の教授たちのゼミの概要が列挙された掲示版を一通り眺め終えようとしていると、最後のゼミの名前が目に入った。「鈴木辰治ゼミ」。なんだこれは。噂話に聞いたことがなく情報が全くないのだ。

(「新潟独り暮らし時代39「大学の醍醐味のゼミナールを決める(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代40「大学の醍醐味のゼミナールを決める(その2)」」に続きます。)
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