新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代58「あけぼのハウス引上げの日(その1)」

●あけぼのハウス引上げの日(その1)

 昭和62年3月下旬。新潟大学生時代の後半3年間を過ごしたアパート「あけぼのハウス203号室」から撤収の日がやってきた。4月からは新潟大学生の新たな入居者が入る予定となっているので綺麗サッパリと引き上げなくてはならない。
 考えてみると、小型とはいえ冷蔵庫や洗濯機、シングルベッドなどの家財道具を引っ越すのは初めてのことで、そうした大物の移送方法や手配はもとより、ぎりぎりまで使用する食器の類などを見極めて順序を間違えないように梱包する必要など、結構計画的に物事を進めないといけないものだと思った。如何に無駄なく効率的で手戻りのないような引っ越しの工程にするか、経済学部で学んだオペレーションズ・リサーチが思い起こされた。
 さて、引っ越し先は、4月からの勤め先が何処になるかによりけりなのであるが、当時の新潟県庁大学卒業程度の枠での採用内定者については、初日である4月1日から合宿形式で2週間にわたって行われる新採用職員研修の中で配属先が伝達されると聞かされていた。基本的には新潟県庁本庁舎内の配属だとは思われたが、数年前には本庁と出先事務所で半々に配属されたこともあったというから担保はない。新潟県というのは県境の北から南まで300km以上もあり、都市部ばかりでなく深い山間などにも出先事務所が点在している。県内どこでも通勤可能な小さな県と異なるので、どこに配属されるか判明してからでないと適切な住まいを決められないのだ。
 後釜が控えている以上「あけぼのハウス」に残留はできないので、とりあえずは柏崎市の実家に家財道具を移送し、勤務初日までの数日間をそこで過ごすより他は無い。
 そんな事情を柏崎高校時代の学友と話していたら、自家用のトラックを貸し出してやるよと言ってくれた。私は不器用で普通免許で乗れるトラックでも運転に自信がないと言うと、彼は運転手も買って出てくれた。あまり親交も深くない友であったが、当時の地元の同級生というのは皆そんな感じで気軽に、しかもお礼も受け取らずに、”お互いさま”と言いながら助け合ったものだった。最高の繁忙期に引っ越し業者に委託などすればどれほどのコストになったかもしれない。有難いことだった。

(「新潟独り暮らし時代58「あけぼのハウス引上げの日(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代59「あけぼのハウス引上げの日(その2)」」に続きます。)
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