新潟久紀ブログ版retrospective

新行政推進室15「【番外編】同郷の上司はクセが強い」編

●【番外編】同郷の上司はクセが強い

 新行政推進室の初代室長は池田直樹氏。私と同郷の上司はとにかくクセの強い人だった。人事課で職員の任用…つまり係長級くらいまでの職員の配置や異動の調整を取り仕切る係で長く勤め、個々の職員の事情を掌握していた上に、皺が多く浅黒い肌に銀縁眼鏡の奥から感情を読み取りにくい細い目は凄みすらあったので、名実ともに庁内に睨みの効く存在として恐れられていたようだ。
 新行政推進室の創設にあたり、人事異動の内示発表で彼(か)の人が室長になることが判明すると、スライド移籍によりその部下になるかも知れない人事課行政システム改革班の面々はざわついたものだ。厳しく頑固なことで有名なその人の下に着けば大変な目に合わされるぞ、と。
 私は、庁内のお偉方の人となりには関心が無く、その辺の予備情報を全く持っていなかったし、学生時代のバイトや新採用の職場からここに至るまで結構な災厄に見舞われてきていたので、どんな人だろうと襲るるに足らずとの思いであった。
 そんな怖いもの知らずの調子で、新行政推進室が発足してから、臆することなく慎重さもなく、詰めの甘いままに企画や相談事を伺ったものだから、私は室長から大変な剣幕にあったものだ。前職までの、内容が十分精査された上で畏敬の念を滲ませて恐る恐る伺いを立ててくる下々の者達と大違いに、がさつで無遠慮な若造が粗削りの案で伺ってくることが腹に据えかねたのだろう。しばしば室員の面前で私は「あんたは本当に馬鹿だねえ」と渋い顔をされながらきつく言われたものだ。世が世ならパワハラだ。
 しかし、そんな手厳しい発言の連発にも私は意外にへこまなかった。酷い罵詈雑言に同僚からは同情されたものだが、そのイントネーションというか言い回しがどこか聞き慣れた感じなのだ。そう、少し口の悪い傾向のある我がふるさとの地域では"けなし"口調が普段使いの域なのだ。慣れた者には、大阪ではアホ、東京ではバカといった具合の罪のないレベルなのだ。室長が同郷人だったことはメンタルの面では良きに働いたのだ。
 ところが、室員の中にはそうではない者ももちろん居る。財政課OBのその人は、室長の人事課の権化のようなものの考え方というかロジックとなかなか馬が合わないらしく、自信満々に何かを伺うたびに想定外の返しを受け続けて心神が相当やられてしまったようだ。分かり易く頭頂部が日に日に脱毛していくのだ。これには同僚皆が同情したが部位が部位だけに声を掛けづらくしていた。因みに、一年で室長が異動してかつて自身の上司だった財政課OBが新室長に着任すると、補佐は何事もスムーズに行くようになって、なんとハゲもみるみる改善していったから驚く。やはりメンタルの健全というのは大事だと痛感したものだ。
 そんな職場を戦慄とさせていた初代室長であったが、「たしなみとして付き合いなさいよ」と言われて参戦したゴルフにおいて、私が全くの素人でラウンドに時間を要して大変な迷惑をおかけしたにも拘らず、終始笑顔で懇切丁寧に手ほどきし続けてくれたことには驚いた。正に好々爺に思えるような変容ぶりだ。仕事とオフは完全に切り替えるその態度には恐れ入った。何だかんだと噂されるも県庁の幹部に至るからにはそれなりの人物なのだなあと、私は自身の立場をわきまえず関心したものだ。
 オフでの好感度もあって日常業務での罵詈雑言には耐えることができ、仕事に関しては支障は無かったが、一つ鬱陶しかったのが「同郷の県職員の会」への出席を執拗に迫られたことだ。県庁では年に一度、新年度最初の議会前の2月頃に、出身地ごとに職位の上も下も含めて費用持ち寄りの酒席で懇親する同郷人の会がある。初代室長は我がふるさと同郷人会の幹事長であらせられたので、部下である私が不参加では示しがつかないということなのだ。
 同郷人というだけで普段関係もない職員が単発で集まって短時間酒席を共にするというイベントに意味が感じられなかったし、ましてや仕事外での任意の集いであったので、私はお誘いがあっても毎年欠席としていたのだ。しかし、仕事外の付き合いであるゆえに、仕事外のゴルフでご指導いただいている恩義を返す機会ではあるなあと感じ、初代室長の要請を受けた年から毎年欠かさず参加することとした。
 同郷人会においては、お偉方である室長は来賓の県会議員や市町村長達の対応に終始して我々若手の参加者と話すものでもないが、この手の会合から若手職員が離れていく中で私の参加を室長は喜んでいた。頭数の足しにはなっているということだったのだろう。
 室長が異動転出した後も廊下でお会いなどすると「俺の目の黒いうちは同郷人会に出席しなさいよ」と冗談めいて声を掛けてきて、笑って「もちろんです」と応じてきたのだが、池田氏は退職して数年で急逝され"目が白くなって"しまわれた。十分義理は果たしたし、仕事を超えて惹かれるようなメンバーも見出せない会合へは、もう出席しなくなって久しい。
 早々とした訃報を耳にした時には「憎まれっ子世にはばかるといった類いのお方ではなかったのか…」などと同僚と悪口を叩きあっていたものだ。現代では戯れ言を話すにも気を遣うこの頃であるが、我々昭和世代にとっては親愛や敬愛の裏返しでもあることを理解して欲しいもの。クセの強さで印象深く強面と好々爺を併せ持っていたかつての上司に対しては、心からご冥福をお祈りしていたのだ。

(「新行政推進室15「【番外編】同郷の上司はクセが強い」編」終わり。「新行政推進室16「【番外編】正調「新行政創造音頭」」編」に続きます。)
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