●情報の発信から通じ合いへ
新発田地域振興局による地域の魅力に係る情報発信と競合する県内外のものを併せて見ていくと、「見ました、有りました」情報の発信で内外ともに飽和していると言えるかもしれない。それらは、典型化、漫然化、独善化、断片化、埋没化、アウトプットというワードを想起させる。対義のように、新規性、話題性、双方向性、展開性、継続性、実効性、検証性、アウトカムといった単語が頭に浮かんでくる。私なりの情報の活用と展開にあたっての切り口になるかもしれない。
また、広域的自治体である県の情報発信として、管内の基礎的自治体4市町との有機性への寄与が不明瞭に思える。すなわち、我が振興局が発する情報は、管内自治体のそれらと、相乗性はあるか、偏りはないか、また、そもそも県の本分である広域性や専門性が活かされたものとなっているか。基礎的自治体との連携や連動性を考えると、突き詰めれば市町に属地的な情報といえる観光系のみならず、防災減災や生活と産業のインフラなど広域的ネットで機能しているもの等についての市町と噛み合った情報発信ももっとあって良いのではないか。それは、若い人が生活空間として選択できるかどうか考える上でも重要な要素なのではないか。
そうなのだ。我が振興局における既往の情報発信の内容は、地域の人口減少対策としての寄与度を計りにくい。
人口に関しては、定住、移住、交流の切り口でよく論じられるが、マクロの統計データなどで語られがち故に、我々は自分事としての実感が持ちにくい。逆にミクロ一人一人の「リアルから抽出される臨場感や現実味」などから共感や関心につなげて、それに応える取組をマクロや「広域へと波打たせていく」ことにつながるような、そんな情報の活用や展開ができないものだろうか。
それは、情報の「発信」で留まらない「通じ合い」という仕掛けを擁することなのではないかとひらめく。
我ながら頭の中で飛躍が多いと思うが、独自性の発揮というのは人間ならではの思考の短絡から生まれるのではないかとも私は勝手に思っている。
情報の「発信」から「通じ合い」へ。それは「プッシュ型」から「プル型」の情報展開ということではないか。
漠然と存在する観光目的の人々に向けてアピールを浴びせて一時的な地域資源の消費の楽しみに誘い込むのではなく、地元で生まれ育って暮らしているが転出の予備軍といえそうな児童や学生とか、修学や仕事の事情で住んだり往来している人とかを、地域で掴んで離さないようにするために、「関心事や悩み事などを聞いて」、プル(引き出)して、「"新発田地域ならではのモノやコト"によりお応えできることを提案」する。他の地域には無い新発田地域特有であること、または、他の地域にもありがちなパーツでも新発田だからこそ独自の組み合わせの妙が見いだせることなどが、情報として相手にお返しできれば、この地に住み続けることや活動し続けてくれることに繋がるのでは。
こうした個別の聞き取りを通じて整理できる「提案」の内容が、新発田地域の魅力の例として発信に値する地域の情報となり得るのでは。
従来型の観光系地域資源の魅力"情報発信"を継続強化していくことに加えて、また、その蓄積も活かしながら、個別の課題を引き出して提案で応えてくという"通じ合い"型の情報展開にも取り組もうという考えに至った。
ヒト各々の関心事や悩み事というのは千差万別で個別具体なものなので、やはり、直接向き合ってざっくばらんに話し合う中から素直な本音と的確な課題を浮き彫りに出来る「座談会」という"装置"を使うのが適していそうだ。
「座談会」という性質上、気さくにざっくばらんな話ができるように、先ずは新発田地域内に居る身近なヒトを少人数で集めてということが良いだろう。
一方で、若い者の関心事や悩み事は、突き詰めていくと実は似たり寄ったりということも往々にしてあること。自分自身の経験やこれまで関わってきた同僚や部下など若者世代とのやり取りを振り返れば思い当たるものだ。
なので、座談会を通じて得られる課題や提案は、ケーススタディなどとて県都や東京圏在住の若者へ向けた情報の通じ合いにも展開していけるだろう。特に新発田で生まれ育って地域への愛着や関心が潜在する都心暮らしの若者には響くに違いない。流出する一方の若者の呼び戻しに少しでもつながる取組となれば、かつて新潟県人口の社会減への対策に取り組んでいた私としては正に"本懐"なのだ。
(「新発田地域ふるわせ座談会7・「情報の発信から通じ合いへ」」終わります。「新発田地域ふるわせ座談会8・「ISEZI(いせじ)に遭遇」(その1)」に続きます。)
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