新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの暮らし・移植歯痛またしても

●寄る年波に負ける(その2)・R5.1月「移植歯痛またしても」

 令和4年の12月半ばのどか雪に始まったこの年の雪との戦いは、異常さも感じるような大きな寒暖差を繰り返して数日で積雪が溶けたと思うとまたもどか雪に対峙するといった様相だった。
 我が家は集合住宅で自家用車は敷地内の青空駐車場に住民共同でギチギチに駐めているものだから、除排雪には本当に悩まされる。空き駐車スペースがあれば誰が言い始めるということもなくそこへ雪を積んでいき、住民の子供がソリ遊びでもしてほんわかしたムードになるのだが、最近は入居者が出入りして替わったことで満車気味になっていて、雪に埋もれた他家の車を傷つけないように、狭い壁際の空間などにスコップで雪を放っていくのは筋力を複雑に酷使する大仕事になってきた。
 そんな感じで令和5年1月半ばのどか雪の第2波により、駐車場の我が愛車は12月に雪から掘り出すのに苦労したばかりなのにまたもすっぽりと真っ白に覆われてしまった。通勤は徒歩だし日常使いの食料などの買物は歩いて用が足りるので、即座にどうということもないのだが、やはり何かあったときにスクランブル発進できるようにしておかないと落ち着かないのが私の性分なので、業務の隙間を見計らって有給休暇を取って、早々に車を雪から掘り出すことにした。住民の大半が休みになる土日になると皆が除雪し合って動線が交錯したり雪のもって行き先が面倒になるからだ。
 幼い頃から豪雪の経験をしてきたので、小学校に通うために子供ながらに自宅から通りに出るまでの数十メートルを一人で除雪したり、子供は身軽だから自宅の瓦屋根に上っては雪下ろしをしたりと除雪の作法や力加減などは身体に染みている。だからこそなのだが、人生の折り返しを過ぎたあたりから、以前と同じ程度の量と質の除雪作業なのに次第にキツさがましているのをヒシヒシと感じるようになってきた。全体として筋力が落ちると妙に力みを入れて作業するようになってしまう。
 話が異常に回りくどくなったが、要するに令和5年1月のどか雪に際して駐車場の除排雪を若い頃のように一気呵成にやってやろうと臨んだときに、スコップに大きな塊を乗せて車で密集した駐車場の隙間目掛ける難しさに砲丸投げでもするように身体をよじって放り投げることを繰り返すにあたり、かってないほどの力で奥歯を噛みしめてしまったのだ。それは、私の口内事情として最も配慮しなければならない左最奥の移植歯のところだった。
 噛みしめがピークに達した雪の放り投げ之瞬間にその奥歯あたりがゴキリと鈍く鳴ったように思えた。マズイ。医者から驚かれるほど長く持ち堪えてきた移植歯が遂に抜けてしまうかと思った。私の最奥歯は顎の骨の形状や神経と血管などの配置の関係でインプラントも難しいと宣告されている。上手くかみ合わせのできない食生活は嫌なモノだ。先行きを連想して私の気持ちは一気に沈んだ。
 除雪作業を終えて洗面台で口を開けて見ると移植歯は見たところなんともなく、カチカチとかみ合わせても違和感は無い。その後の夕食も今まで通りだったので一安心していたのだが…。
 日を追う毎に、食事する度に、移植歯の下に痛みを感じるようになってきた。嗚呼、これは移植以来何年かおきに発症してきた覚えのある感覚だ。経験的に無理に噛んではいけないと知っている。歯の奥で口内細菌が増殖して炎症を起こしているのだ。早速、歯科クリニックを予約して伺うとこちらから症状と原因を告げ、馴染みの抗生剤の処方をお願いした。
 歯科医の診断も私と同じで、抗生剤の服薬を始めると以前の時のように一週間ほどで改善したが…。このような炎症を起こす間隔が年々短くなっていることに落ち込む。”寄る年波”にじわじわと抵抗力とかバイタリティが浸食されていることに恐怖すら感じるのだ。
 老化とは、進み具合を緩やかにできるくらいで、反撃できるものではないのだろうか。

(「ほのぼの暮らし・移植歯痛またしても」終わり。「ほのぼの暮らし・「爪白癬」の恐怖(その1)」に続きます。)
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