新潟久紀ブログ版retrospective

地域農政推進課10「他県調査に行くべし(その1)」編

●他県調査に行くべし(その1)

 新潟県で平成の時代においては、専業もしくは兼業の農家の子弟に生まれても、普通高校に進学して大学を目指すとなれば東京圏の大学が視野に入りがちになるもの。県内でも国立の新潟大学や長岡技術科学大学、県立大学の他に、私立大学も増えてはいたが、高校時代の進路指導そのものが偏差値順の大学リストに基いていて、私大となれば大方の人に知られているようなある程度のレベル以上でないと就職にも影響するという考え方が蔓延っていて、進路指導にあたる教師も東京都内の大学へと押しがちなのが実態であった。
 本県の農業政策は、もはや若い担い手が減っていくことが既に暗黙の前提となっているかのようであり、地元に残り頑張ってくれる少数の農業者に農地や政策を集中して本県農業をなんとか維持して欲しいという状況になっていた。それが結果して、農業でも他産業並みに稼ぎを上げてやっていける経営体づくりにつながり、そうなると若者も本県農業を見直して地元への定住につながるのではないかと考えられていた。
 稼げる農業づくりが若者の定住につながるというのは確かにそうなのであろうが、今の若者の感性はそれのみで捉えることができると読み解けるのであろうか。私は、広大な田んぼを抱えて1千万円プレイヤーになれると誘えば、その一点を決定打として東京に出て行く田舎の若者を引き止められるとはどうにも鵜呑みに出来なかった。少なくとも大学進学のタイミングで故郷を出て視野を広げたいという大勢の若者の欲求を大きく抑えることはできないであろう。問題は大学卒業のタイミングで、もしくは引き続き都内に残り都会でのサラリーマン生活を少し経験してみた上で、故郷新潟への回帰につながるような誘いが必要なのではないか。
 担い手が居てこその農業の振興であり、農業が盛り上がってこそ広大な農地を抱える郷土新潟の発展である。経済効率が良く国際競争力のある本県農業に向けて農地を流動化させて集積する仕組みさえ充実させれば担い手は自ずから増えるというものではないだろう。良くも悪くも泥臭い農業の実務そのものに加えて若者にとっての魅力となる要素が農業農村には重要なのではないか…。地域農政推進課で1年ほど最新の農業政策を私はそんな思いが強くなっていた。
 農業所得や農作業そのもの以外での田舎暮らしの魅力…。グリーン・ツーリズムという都会人の田舎への理解を深め応援団を作ろうという取組みへの関りを通じて、単に誘客のためではなくて、その取組みそのものが若者にとって面白い仕事になるのではないかと思えてきた。当時は和紙漉き名人やわら細工の達人などピンポイントで活躍されるご高齢の大家達が誘客の目玉として取組みの中心にいたのだが、もう少し地域を面的にプロデュースできるような、出過ぎず配慮に長けた仕掛け人が必要ではないか。そうした役どころは、"俺が俺が"と脂ぎった中高年よりは、見かけはあっさりとして控え目を好みながらも優秀な今風の若者が適任であり、そうした誘い込みに若者も目を向けてくれるのではないかと思えたのだ。
 その時その時点では農業政策を推進する課の課長補佐でしかなかった私であるが、県職員としての勤務がまだ10年以上あることを考えると、何らかの形で本県の地域振興に関わることもあるかもしれない。地域農政推進課という名称でありながらもグリーン・ツーリズムなど農業のテリトリーを幅広く捉えて各種取組みに関われるこの課に居る間に、私自身の知見を可能な限り涵養したいという思いが強くなったのだ。

(「地域農政推進課10「他県調査に行くべし(その1)」編」終わり。「地域農政推進課11「他県調査に行くべし(その2)」編」に続きます。)
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