●不思議なおばちゃん達と僕(その26) ※「連載初回」はこちら
~ひな祭りの日に年少おばちゃん亡くなる~
ある程度定期的に様子を見守ることは、図らずも高齢化により次第に衰退していく推移も見ていくことになる。年少おばちゃんは、着ぶくれして見えてはいたが、身長からしたら体重も軽すぎくらいに痩せこけており、施設職員も入所当時は気にしてくれていたのだが、貧困の生い立ちを知る僕と母は、長年掛けて今の体格が形作られてバランスしているので急に多く食べさせたりするとかえって体調を壊してしまうことを施設に説明していた。本人もそんな体つきで明るく元気にできていたのだ。
それでも、施設入所から2年が近くなろうかという頃になると、体重の減少が深刻化してきたようだ。少し前に咳き込んだ時に血が混じったという話もあった。医師によれば進行性のものではないということだし、本人もその後何食わぬ顔で過ごしていたのだが、例えば高齢だと癌の進行は遅いといわれるように、急激ではないにしてもじわりじわりと身体の衰えを進ませていたようだ。
平成28年の2月半ばに母から電話で年少おばちゃんが昏睡状態に入ったと聞かされた。何時亡くなってもおかしくないと言い、母は無理に延命するような処置は求めないことを施設に伝えたという。僕も同意だ。貧困家庭で生まれ育ち、倹約節約で十分に食べることもできずに痩せ細った老人ではあったが、最後は明るく綺麗な施設で大勢のスタッフから十分なケアを受けて楽しく暮らすことができたのだから。90歳になる本人も眠るように逝ければ幸せではないかと勝手ながら得心した。
平成28年3月3日。ひな祭りの節句に年少おばちゃんは息を引き取った。知的障害もあってか、いつまでも幼心のように可愛いいものが好きだった年少おばちゃんらしい命日だと思った。特養からの死亡退所となれば僕と母が身元引受人となっているので遺体を引き取ることになる。葬儀を行うにしても母と僕と、せいぜい跡取りの僕の家族が参列して、菩提寺の住職から読経してもらうくらいのものとなる。僕の実家から歩いて5分くらいの近所のセレモニーホールが、最近の流行を受けて家族葬用の小さな施設を整備したという。葬儀できるのは一組というその平屋建て一軒家のようなこじんまりした会場を上手い具合に借りることができたので、そこで葬儀を行った。おばちゃん達の家のご近所の夫婦が参列してくれて、それに僕と僕の妻と母で一杯になるような会場であったが、真新しい建物でみすぼらしさが無く、それなりの供花など母と僕で整えた中で、素朴だが穏やかな気持ちで故人を送れる空間だった。満足した母が「私の葬式もここで十分だから頼むね」と繰り返し僕に言うのには困ったが…。「さようなら年少おばちゃん」だ。
「人間というものは執着が強いと簡単にはへこたれたりくたばったりはしないもの」と、何故か僕は勝手に思い込んでいるフシがあった。なので、自宅に戻りたいという強い一念を頼りに施設での生活を続けている真ん中のおばちゃんは、元気なままで相当長生きするのではないかと考えていた。僕の母も、年少のおぱちゃんの方が先に亡くなったし、数年前の自身の硬膜外出血手術の一件もあって、「10歳以上年上の真ん中のおばちゃんよりも自分の方が先に参ってしまうのではないか」などと本気で心配して僕に話したものだ。「そうなったら真ん中のおばちゃんのことはあんたに任せるよ」と忘れずに付け加えて…。
それでも、施設入所から2年が近くなろうかという頃になると、体重の減少が深刻化してきたようだ。少し前に咳き込んだ時に血が混じったという話もあった。医師によれば進行性のものではないということだし、本人もその後何食わぬ顔で過ごしていたのだが、例えば高齢だと癌の進行は遅いといわれるように、急激ではないにしてもじわりじわりと身体の衰えを進ませていたようだ。
平成28年の2月半ばに母から電話で年少おばちゃんが昏睡状態に入ったと聞かされた。何時亡くなってもおかしくないと言い、母は無理に延命するような処置は求めないことを施設に伝えたという。僕も同意だ。貧困家庭で生まれ育ち、倹約節約で十分に食べることもできずに痩せ細った老人ではあったが、最後は明るく綺麗な施設で大勢のスタッフから十分なケアを受けて楽しく暮らすことができたのだから。90歳になる本人も眠るように逝ければ幸せではないかと勝手ながら得心した。
平成28年3月3日。ひな祭りの節句に年少おばちゃんは息を引き取った。知的障害もあってか、いつまでも幼心のように可愛いいものが好きだった年少おばちゃんらしい命日だと思った。特養からの死亡退所となれば僕と母が身元引受人となっているので遺体を引き取ることになる。葬儀を行うにしても母と僕と、せいぜい跡取りの僕の家族が参列して、菩提寺の住職から読経してもらうくらいのものとなる。僕の実家から歩いて5分くらいの近所のセレモニーホールが、最近の流行を受けて家族葬用の小さな施設を整備したという。葬儀できるのは一組というその平屋建て一軒家のようなこじんまりした会場を上手い具合に借りることができたので、そこで葬儀を行った。おばちゃん達の家のご近所の夫婦が参列してくれて、それに僕と僕の妻と母で一杯になるような会場であったが、真新しい建物でみすぼらしさが無く、それなりの供花など母と僕で整えた中で、素朴だが穏やかな気持ちで故人を送れる空間だった。満足した母が「私の葬式もここで十分だから頼むね」と繰り返し僕に言うのには困ったが…。「さようなら年少おばちゃん」だ。
「人間というものは執着が強いと簡単にはへこたれたりくたばったりはしないもの」と、何故か僕は勝手に思い込んでいるフシがあった。なので、自宅に戻りたいという強い一念を頼りに施設での生活を続けている真ん中のおばちゃんは、元気なままで相当長生きするのではないかと考えていた。僕の母も、年少のおぱちゃんの方が先に亡くなったし、数年前の自身の硬膜外出血手術の一件もあって、「10歳以上年上の真ん中のおばちゃんよりも自分の方が先に参ってしまうのではないか」などと本気で心配して僕に話したものだ。「そうなったら真ん中のおばちゃんのことはあんたに任せるよ」と忘れずに付け加えて…。
(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その27」に続きます。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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