新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代78「グリーンハウスへの帰り道で」

●グリーンハウスへの帰り道で

 昭和63年4月。グリーンハウス入居すると直ぐに新潟県庁勤めの二年目が始まった。
 当時の私の職場である企業局総務課は、新採用職員が配置されるような、要はあまり過酷でないとされる部署であったはずなのであるが、二年目の半ばあたりから三年目の全期間において、過去に先送りしてきた諸々の課題が噴出して地獄のような残業漬けの状況に見舞われることになる。この春においても既に火種は燻っていたのであろうが、鈍感で気が回らない私は、終業時間後も居残る先輩同僚や係長に屈託なく挨拶をして定時に退庁していたものだ。
 住まいが新築ということと、前のアパートでは控えめにしていたオーディオでの洋楽鑑賞三昧に浸ろうと、私は寄り道もせずに徒歩20分程度の帰路をスタスタと歩いていたものだが、ある日、高級なスーツ姿の年輩の後ろ姿が何処まで行っても同じ路を進み、背の高い私の方が足が速いため、ついに並んでしまった。ふと目が合うと、何と私の職場で最も偉いボスである企業局長様であった。
 「ようっ。君は総務課の…」と仰るので、私は配属係と名前を告げて、お疲れ様ですとご挨拶申し上げ、足の動きを緩めて局長に並ぶ歩調にした。企業局長といえば県副知事と並ぶ特別職。かようにお偉い方というのは黒塗りの公用車での送り迎えが当然と思っていたので、お付きの人もおらず一人で歩かれていることに驚き、ご当人にそう申し上げると、大笑いして「家が近くだから歩いて通っているんだ」とフランクに話された。
 怖いもの知らずの年頃だった私とはいえ、このまま一緒に歩いて行こうという雰囲気の局長には緊張したものだ。帰路の分かれ目はまだかまだかと心の中で思いながら、精一杯の受け答えなどしながら歩いたものだ。ところが分かれ道が中々訪れない。ついに私のアパートの前まで来てしまった。局長は更に遠くから徒歩通勤されているのかと思いきや、「おおっ近くだね」とのお声。なんと、私のアパートの間迎えの小道を入ってすぐの一軒家を指さして「私の家はここだから」と言い残して歩いて行かれたのだ。
 歩いて僅か数十秒のところに局長がお住まいとは。職場を離れてもアパートやこの界隈で迂闊なことはできないなあと少しげんなりした。それにしても局長様のお住まいにしては豪邸とはいえず、失礼ながら、古びた普通の家屋にしか見えない。後から先輩同僚に聞いたのだが、出身の魚沼地方に本宅があり、ここは県庁通いのための別宅で、一人だったり家族とだったりで暮らしているのだという。今で言う二地域居住か。そう考えると局長の格らしい贅沢さなのかもしれない。
 定時で帰るとどうしてもタイミングが一緒になりがちであったが、年の離れたお偉い上司と若造の私が帰り道での話を続けるのは難しく、また、歩幅から並んで歩くのも以外に面倒なものだった。そのうちに、私は先述のとおり残業が多くなり始め、帰路をご一緒するどころではなくなったので、ある意味気持ちが軽くなったものだ。
 そして、その頃の企業局長は一年で交代していたので、やがて職場でも短い帰り道でも、局長ご本人とお会いすることはなくなってしまった。40歳近く離れた私に偉ぶらずに気さくに声を掛けてくれた彼の人はお元気だろうか。今も残るグリーンハウスの近くを通ると思い返すのだ。

(「新潟独り暮らし時代78「グリーンハウスでの日々」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代79「サンルームトラブル」」に続きます。)
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