●先生、バスケがしたいです(その1)
昭和52年春の柏崎市立第二中学校への入学直後は、何かと行動も物言いも強めだった出身小学校が異なる級友たちに囲まれて、私は浮かれることも出来ずに身を低くして過ごしていたのだが、担任教師や家族を突如驚かせることになる。
当時の中学校というのは、新入生全員が何らかの部活動に入部するというのが原則のようになっていて、一旦入ったら卒業まで辞めないというのが当然とされていた。授業と併せてクラブ活動に励むことで心身を健全に育成しよう、そして最後までやり遂げさせることで協調性や忍耐力なども育もう、といった趣旨はわが校のみならず全国的な昭和の中学校教育のスタンダードだったように思う。
4月も早々の担任教師との個人面談により、各々の生徒がどの部活に入りたいかの聞き取りが行われた。順番が来た私が自分の希望を話すと、担任は思わず「なにねぇー」と”西蒲原(にしかんばら。新潟県の一地方)”訛りでの驚きを抑えられなかった。「バスケットボール部に入りたいって本気なのか」と正に目を丸くして担任は聞き返してきた。
「本気です」という私に、担任は運動部がどれほど大変か、バスケットボールがいかにハードなスポーツかを延々と語り始めた。目の前に座る肥満体の私が直ぐに音を上げて部活動に着いていけなくなるにちがいない、考え直せと諭したかったのだ。
その頃の私は身長150cm台で高くない一方で体重は80kg近くあり、正に外形的には肥満体そのものであった。スポーツなどとてもできそうには見えないのだ。クレッチマーの性格分析ではないが、太っていた私は動きもしゃべりものんびりしていて、愚鈍であり、一人当たり限られた面談時間内に何とか考えを変えさせようと忙しく喋り続ける担任に口をさしはさんで希望理由を説明したり抗弁したりがなかなか出来なかった。それがまた担任を少しイラつかせて早口に拍車をかけさせてしまっていたようだ。
当時は、生徒が小学校時代にどんな活動をしていたかというのが中学校に申し送られていて、私については小学校の高学年においてずっと太った身体で金管楽器のユーホニウムを抱えて吹奏楽でボンボンボンボンと鳴らしていたというのが担任ら先生方には伝わっていたようだ。私の風体や雰囲気などからして当然文化系の吹奏楽部に入部するに違いないと高をくくられていたようなのだ。「吹奏楽は続けなくていいのか」とまで担任は聞いてきたのだから。
せかしたてられるような雰囲気の中で上手に説明ができないまま、「それでもバスケがやりたいんです」としか言わない私の面談は終了時間を迎えてしまった。担任は「もう少しよく考えてみて改めて相談しよう」と言うと教室から私を退出させ廊下で待つ次の順番の生徒を呼び込んだ。
部活の選択が保留にされたまま二、三日経つと、帰宅して家でゴロゴロしていた私に母親が外出先から帰ってくるなり割と大きな声で話しかけてきた。「おまえの部活のことで担任の先生から頼まれた」というのだ。この日は中学校新入学に際しての既定の父兄面談だったのか、それとも部活選択などで問題のある生徒の親だけが呼び出されたのか、よく覚えていないがとにかく母親は担任と面談して来たのだという。
担任は、私の体型からしてハードな運動部に入ってももたないのではないか、本人は実情をよく知らずに希望しているのではないか、母親からよく言い聞かせて考え直させてやって欲しいなどと、懇願にも近いような言い方で熱心に母にお願いしたという。えらい騒ぎになったものだと私も少し恐縮した。
それでも、つい数日前に初めて会ったばかりの担任の先生との面談では、緊張していて言い出せなかった希望理由が、自宅で母親を前にするとボソボソと話し始めることができた。そう、私は肥満だからこそ、それを何とかしたくて運動部での厳しい練習に揉まれてみたいのだという真意をここで初めて説明できたのだ。
入学直後から放課後に行われている各クラブの部活動は友人と一緒に眺めてみたし、新入生向けの明るくフレンドリーな勧誘アピールの一方で、実際は先輩後輩の上下関係が理不尽なまでに厳しいとか大変なシゴキが待ち構えているといった噂も漏れなく聞いてきた。その上での自分なりの判断だということを初めてつまびらかにしてみせることができた。
あまり理詰めで議論することを好まず子供の事でもあまり頓着しない母は、"私なりの覚悟"を聞き終えると、良くわかったので担任の先生にもしっかり自分から伝えなさいと言い、自分からも担任には「子供の入部希望を叶えてやってくれ、上手くいかなければ本人の責任であると親も承知の上だ」と話すと言ってくれた。
あまり理詰めで議論することを好まず子供の事でもあまり頓着しない母は、"私なりの覚悟"を聞き終えると、良くわかったので担任の先生にもしっかり自分から伝えなさいと言い、自分からも担任には「子供の入部希望を叶えてやってくれ、上手くいかなければ本人の責任であると親も承知の上だ」と話すと言ってくれた。
(「柏崎中学生時代4「先生、バスケがしたいです(その1)」」終わり。「柏崎中学生時代5「先生、バスケがしたいです(その2)」」に続きます。)
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