●終わる一人暮らし(その3)
平成2年度から初めての車通勤となり、しかも定時退庁が基本の出先事務所勤務ということで、とにかく行動がアクティブになっていった。
残業で心身ともに疲弊していた中でも、何とかリフレッシュしたいと前年度に知人からの声掛けで時折仲間に入れてもらっていたバスケットボールについて、当時は毎週月曜日の19:00くらいから県本庁舎の裏の信濃川沿いに建つ職員会館という施設の中のコートで県庁職員によるクラブが練習していたのだが、出先での仕事を終えて車で直行すれば十分間に合ったので、定例的に参加させてもらうことにした。
バスケは中学時代と高校の僅かな期間にいわゆる部活として経験していたのであるが、もともと小学生時代の肥満を解消したいという動機から当時の中学校ではスパルタンで鳴らしていたことで入部したものであり、元来スポーツマン向きではない私は終始補欠であった。
それでも血尿も出るくらいの当時のしごきに耐えて身体に染み付くと、一種のマゾヒズムかもしれないが、下手の横好きでもバスケを続けたいという思いがあった。その一方で当然ながらハイレベルにはついていけない。そんなジレンマに悶々としている時に、外国留学生との交流の一環か何かで声が掛かり、お遊びレベルのバスケを久々にやってみて、楽しみながプレイできる集まりは無いかと考えていたのだ。
新潟県庁バスケットボール部は、やはり学生時代までにバスケ部にいた上手な者などが主流で、なかなか交えてはもらえないだろうなあと思っていたが、そこはバリバリの実業団などとは異なり、ゆるくやって行こうと気遣ってくれる人が多かったので、私のような下手くそでも暖かく相手してくれたことが非常に有難かった。
仕事などの事情で練習参加者の入れ替わりは少なくなかったが、毎回のように練習に参加するコアなメンバーというのがある程度定着してくると、リーダー格でバスケのみならずラグビーやサッカーなどなんでもこなして各界で一目置かれている同い年の県職員の彼が、折角だから新潟市主催の大会に出て見ないかと持ち掛けてきた。
彼こそは周囲への気配りの人であり、自身はバスケの高いスキルを持ちながら、私のような下手くそを励ましながら仲間にし続けてくれている恩人とも言える人で、市の大会にはこんな私も含めて参加しようといってくれた。公の場での試合など高校生以来だ。私はベンチの温め役でいいのでと言いながらメンバーに加えてもらうことした。
(「新潟独り暮らし時代82「終わる一人暮らし(その3)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代83「終わる一人暮らし(その4)」」に続きます。)
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