●83終わる一人暮らし(その4)
新潟市のバスケットボール大会当日になると、予定していたメンバーから急用ができて出られないとの連絡が入ったり、日時を間違えたのか連絡なしに来ない輩がいたりで、ゆるいサークルらしさを露呈する事態になった。補欠どころかスターティングメンバーの5人にすら足りないかもしれない。閑散とする新潟西総合スポーツセンターのバスケットボールコートの片側のベンチで、相手チームが大勢して試合前の練習をハーフコートで始めている賑やかさを背にしながら、私と仲間は青ざめていた。
何とか試合開始数分前にギリで5人集まると、私もスタメンで出ることに。持久力の無い私は交代要員が頼めない中で死ぬかもしれないと思いつつ、どうせ最初しか動き回れないならばと腹を決めて、運動量をできるだけ抑えるべく相手のゾーンディフェンスに切り込まず、無謀にもロングシュート狙いで行こうと心に決めていた。
試合が始まると、身長180センチでバスケにおいては高いという程でもなく、どう見ても俊敏そうには思われない私は、当然のことながらあまりマークされない状況になった。切れ良く走り周るキャプテンから、少し回し始めるつもりのパスを受けた私は、隙を感じてそのままシュートの姿勢に入った。キャプテンが「早い」と言っても私に躊躇はなく、放たれたボールの軌道は「ええっ」という表情の相手選手の頭上を越えて、果たしてそのままゴールにイン。
我ながらやや驚いたが、体力が十分ある短い間限りとはいえ、ロングシュートには実は少し自信があった。その後も、セオリーに反するような私のロングシュートが意外にも決まり続けたので、動き回っての圧勝を目論んでいたかのような敵チームも少し混乱したようで面白い展開になった。キャプテンも「ツボにはまると凄いね」とおだててくれて私もうまい具合に調子づいたのだ。
しかしバスケは一試合40分間もある。休憩中断はあるものの時間一杯コートの中を休みなく走り回り続ける最もハードなスポーツだと思う。私のスタミナは案の定最初の10分くらいで直ぐに底をつき、ボールの動きについていけず、コートに居ながら戦線を離脱するような有様になっていった。
実は、別の日には10人ほどメンバーが集まれた試合があって、10分置きくらいに選手を殆ど入替して体力を復元させながら対戦に臨んだことがあった。私的には最高の戦術であったのだが、今日のこの場では一人の交替すら望めない。ヒイヒイ息が苦しくなり白目を剥いて本当に倒れそうになったところ、ベンチに遅刻して来たメンバーが居て、何とか交代してもらえて生き永らえたといった感じ。意識が薄れていきそうになる中でバスケのハードさを改めて思い知った。毎度そんな精一杯の状態だったので、無我夢中でいくつかの会場で何試合かに出場したが、大昔のことでもあり、得点がどうだったとかはおろか勝ち負けの結果すら覚えていない。
そういえば、付かず離れずの人付き合いを基本とすることに加えて面倒くさがり屋の私としては珍しく、全くの任意であるのに一泊の妙高高原でのバスケ合宿にまで参加して楽しめた。ゆるい雰囲気づくりと私のような者にも気配りを怠らないキャプテンの企画であったことと、皆が気のいい当時のメンバーのおかげであり、就職してしばらくの激務で疲弊していた私をリカバーしてくれるような本当に有難いものだった。
アパートでの一人暮らしで、平日は定時退庁で土日もフルに休め、何時どこにでもクルマで出かけられて何でも自由にできたこの頃、特に中高生時代に半端なままやり残してきた思いのバスケットボールを下手くそながらも暫くの期間再び楽しめたことが、当時の住まいのグリーンハウスのイメージと併せて、何か自由さの象徴のように思い出されてならないのだ。
〓グリーンハウス終わり〓
(「新潟独り暮らし時代83「終わる一人暮らし(その4)」」終わり。半生を更に遡って子供時代を振り返る「柏崎こども時代1「幼稚園通いの憂鬱」」に続きます。)
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