●28漫画家志望
昭和半ばの小学生時代の6年間は一貫して勉強というものが好きになれなかった。特に年度末ギリギリの早生まれの男児ということもあり、小学3年生くらいまでは本当に勉強に着いていけなかったというか、正直、先生が何の話をしているのかさえも判らない常態で、100点満点のテストを受ければ5点くらいを平気で連発して母親を心配させたものだ。
いわゆる知能検査のようなものを一人だけ個室で追加で受けさせられて、周囲の大人がため息をついていたようだったことを思い出す。私自身は大人が困っていようがその意味が判らないのでどうってことなかったようだが。ただ、若い頃から強気な母親は、落胆して諦めるというのではなく、より厳しくすることで私が更生できるものと考えていたようで、ことある都度、叱られた時に向けられた恐い顔を憶えている。
読み書きの出来が悪いし、その愚鈍さに起因するのか運動も不得手の私だったが、神様は良くしてくれたもので、絵を描くことで少しは楽しみをもたらしてくれた。
小学低学年の頃から、図画工作(図工)の時間で絵を描かせられれば、「県ジュニア展」とか「二科展」の佳作や入選、時には金賞、銀賞といった賞状を、ほぼ毎年、先生を通じていただいていたものだ。柏崎市の片田舎に住んでいるとその展覧会がどんなものなのかは全く知らなかったし興味も無かったのであるが、学年の皆が皆もらえるものではないということは分っていたので、褒められることの少ない私には嬉しい事だった。ただ、現実主義者の母親は国語算数といった実学が大事だと思っていたようで、絵画の賞にはそれほど関心がなかったようだ。
そして、絵を描くことが好きな子供の次なる展開にありがちな「漫画好き」に私も足を踏み入れてしまう。読むことは殆どの子供達がハマるのであるが、それに加えて私は描くことにもハマってしまった。
小学の中高学年から近所の友達と「週刊少年ジャンプ」の回し読みなどを始めると、気に入った連載の単行本を集めるようになり、それらのストーリーを真似て、登場人物などはオリジナルで考えて、漫画を描くようになった。B4版西洋紙にある程度描きためると、それを切り折りしてホチキス留めして表紙も装丁し、単行本よろしく友達に見せるということを始めたのだ。
「サーキットの狼」とか、当時デビューしたてで強烈に心酔した星野之宣先生の「ブルー・シティ」や諸星大二郎先生の「暗黒神話」など、ストーリーは殆どパクリで今思えば恥ずかしい限りだが、当時はあたかも独自の作品を創作しているような興奮の中で、毎晩のように夢中になって西洋紙に”からす口”で枠線取りをし、作画用の”Gペン”を走らせていたものだ。
漫画好きが真似描き以外に変わった形に展開したのは「ど根性ガエル」。主人公の少年が転んだ拍子で下敷きにしたカエルがTシャツに張り付いてしまい、少年と平面カエルがドタバタを起こして行くという物語で、昭和半ばの当時はTVアニメにもなり国民的大ヒット作だった。私は黄色いTシャツを買ってもらって、その前面に油性の太マジックでそのカエル「ピョン吉」を自分で描き、自慢げに着て歩いたものだ。同じような事をした御同輩は少なくないはずだ。
初めて続けて読み始めたのが「週刊少年ジャンプ」だったので、そのターゲティングに小学男児の私は見事にハマって、少しやんちゃな元気っぷりやパワーあるドタバタコミカルを楽しむことこそが漫画の真髄のように思っていたのだが、ある日、そうした意識に激震を走らせる作品に出会うことになる。
(「柏崎こども時代28「漫画家志望(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代29「漫画家志望(その2)」」に続きます。)
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